Ⅰ 聖人塚古墳(加曽利町聖人塚所在)

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 都川の河口近くの都町・延命寺から東に向う支谷の最奥部に位置し、台地の尾根部に立地する。
 昭和四十七年二~三月、京葉道路延長工事に伴う緊急調査として、千葉県都市公社が発掘し、湮滅した。この古墳は、周溝内径で直径二七メートルの不整円形を呈し、墳頂部の高さ約一メートルをはかる。主体部と考えられる内部施設は墳頂よりやや北寄りの麓部に、二カ所認められ、ともにローム層を掘り込んだ竪穴式墓壙であった。
 第一主体部は、主軸の方向N―四七度―Wで、壙内は内壙と外壙に分かれる。内壙には、かなりの粘土塊が認められるが、石棺が組まれた痕跡はない。木口を粘土塊で押えた木棺直葬であろう。副葬品としては、直刀、鉄鏃などが検出された。
 第二主体部は、主軸の方向N―二九度―Eである。粘土は認められなかったが、類似した埋納形態であり、より簡略化された方法と考えられる。副葬品は皆無だった。
 墳丘内より出土した遺物は、土師式土器(甕・坏)、須恵器(〓(はそう)・瓶・坏)、大刀、鉄鏃、耳環である。
 〓は、須恵器の編年上、第Ⅵ型式に比定され、本古墳は七世紀中葉から八世紀初頭に位置づけられている。
 この古墳の東方には円墳が点在し、西方には兼坂遺跡で発見された周溝遺構が所在し、一つの群集墳として把握しうると考えられる。
 なお、詳細は千葉県都市公社より報告されている(註)。
 【脚註】
  1. 『京葉』千葉県都市公社 昭和四八年