Ⅵ へたの台古墳群(仁戸名町へたの台所在)

251 ~ 253 / 452ページ
 千葉市内の古墳では、小円墳によって構成された群集墳が最も多く、すでに七〇群三百基以上がかぞえられている。それにもかかわらず、一つの古墳群として、その全貌を明らかにした調査はかつてなかった。
 この古墳群は、東京湾に注ぐ都川本谷を東に約四キロメートル遡上し、星久喜台下より南に分岐する仁戸名支谷の右岸約一キロメートルに位置し、南から北に向って仁戸名支谷に突出する舌状台地のもっとも狭少な尾根部に展開する。標高は平均二八メートルをはかる。
 調査は、松ケ丘第二小学校建設のため、台地の大半が削平されることになり、千葉県考古学会(会長・杉原荘介)が緊急に発掘調査を行った。その結果、この古墳群は、舌状台地のくびれ部ともいうべき、幅五〇~六〇メートルのもっとも幅狭い尾根上に、距離にして一五〇メートルの範囲内で、互いにその周溝が切り合うほどに、大小八基の円墳が密集していることがわかった。このように密集した例は千葉市内でも類がなく、まず、この古墳群の占地及び分布のしかたに重要な意義がある。
 古墳群の展開は、西側の支谷に面するもの五基(第一~五号墳)、東側の支谷に偏するもの三基(第六~八号墳)である。
 なお、この台地が中世における砦(とりで)あるいは物見台として利用されていたらしいこともこの調査によって判明した。舌状台地を横断する堀切りや、尾根部を縦断する溝状遺構、台地縁辺部の腰曲輪などが確認されている。

2―127図 へたの台古墳群周辺地形図


2―128図 へたの台古墳群全景(南東上空より)