直径二二・七メートル高さ三・一メートルの円墳、封土の二カ所から土器群が出土し、一カ所からは鉄剣一振と刀子一本が出土した。鉄剣は刃先を南西に向けていた。内部主体は、墳丘中央やや南寄り、墳頂下約〇・五メートルの位置で発見された。全長三・三メートル、幅〇・五メートル壁高〇・二四メートルをはかり、縁辺に粘土塊が確認されたが、底部からは認められない。第一号墳、第二号墳に比べて掘りこみが浅いが、同じく木棺直葬であろう。
主体部の副葬品は、鉄製大刀一振、臼玉一、小玉一、刀子一本である。大刀は全長六八センチメートルの平造りで、土壙南壁に接し、柄部を東、刀部を壁側に向けて発見された。
封土内より出土した土器群は一定時期・一定範囲内に恣意的に納置・投入されたと考えられる。そのほとんどの土器に、一~三回の打撃痕が認められる。このような傾向は古代神道において、祭祀に用いた土器を、祭祀の行われた後に、すべてたたき割ってしまうのと同じような性格をもったものと思われる。このような例は、市原市女坂一号墳において見られ、調査報告者は「古墳を築造する過程(遺体を埋納した直後か)、あるいは築造の完了した後に行なわれた墓前祭様の祭祀の遺品(註2)」と述べている。また、小見川町城山古墳、香取郡舟塚原古墳などにも類例をみることができる。しかし、出土土器の大半が坏、高坏、甕などの土師式土器で、手捏、坩、〓などは僅少であり、須恵器が少ないのが難点といえばいえないこともない。