調査以前に、すでに墳丘が一部ブルドーザーによって削平されており、原形の規模はわからない。推定によれば、直径一五メートル、高さ約二メートルの円墳であった。
内部主体は、南側半分を削平されており、全長は不明であるが、幅一・二~一・三メートルである。盛土下の地表面を掘りこんだ土壙であり、更に幅〇・四メートル、深さ〇・一~〇・一五メートルの棺床部が設けられていた。この棺床部を囲繞するように幅約三〇センチメートル、厚さ約一五センチメートルの粘土が充填されていたが、底部からは検出されなかったという。いわゆる木棺直葬であったと思われる。なお、副葬品としては、棺床部より鉄製直刀一振と鉄鏃一六本が発見されている。