第四号墳から南東約六七メートルに位置する。前方部幅七メートル、高さ〇・五メートル、後円部径一八メートル、高さ二メートルの前方後円墳である。
内部主体は墳丘くびれ部にあり、主軸に沿って設けられた土壙である。土壙は旧表土から、最大幅一・九六メートル、最大長三・九メートルの不整形な土壙をローム面まで掘り下げて設けられている。それは内壙と外壙とに分けられ、内壙は、幅〇・四~〇・七メートル、長さ二・八メートルをはかる。土壙内には、粘土が東西両端に厚く充填されていた。
内壙床面からは、鉄製直刀一振、刀子一口、鉄鏃三一本が発見された。直刀は切先を西に向けていた。
なお、第六号墳から第九号墳までは、直径一二~二〇メートル、高さ一~二メートルの円墳であるが、未調査のままである。
この古墳群の周辺には、仁戸名支谷を挾んだ対岸に、全長三五メートル、後円部直径約一七メートル、高さ約三・五メートル、前方部最大幅約一四メートルの前方後円墳を含む塚原古墳群(前方後円墳二基、円墳一基)が所在する。
【脚註】
中村恵次・市毛勲「千葉市中原古墳群調査報告」『古代』三七号 昭和三六年