2―132図 西前原遺跡出土の住居址
第一号及び第二号住居址から出土した土器は、すべて鬼高式期のものであり、このような小範囲の試掘溝から二戸も隣接して住居址が発見されたことから、その周辺にも数多くの住居址が存在し、この集落遺跡はかなり広範囲に展開している可能性が考えられた。地表面における土器の散布からみても、少なくとも百メートル四方の範囲が想定されたので、早速、県当局に遺跡発見届を提出するとともに、日本住宅公団に本格的な調査を要請した。しかし、その後なんの調査も行わずに、全面を削平してしまった。
この遺跡も、東寺山南遺跡のように、環濠によって区画された集落の可能性があり、時期もほぼ平行しており、位置的にも約四百メートルをへだてるにすぎない。両者の関係はきわめて密接であり、当時の集落のあり方を知る上で、きわめて重要な存在であった。