一辺約五・五メートルのほぼ正方形を呈する竪穴式住居で、壁の立ち上りは、確認された範囲で一五~二五センチメートルをはかる。この住居址の立地する地盤は、北東に向ってゆるやかに傾斜するが、住居址の床面はほぼ水平に設けられていた。
主柱穴は四隅に一本づつの計四本で、直径三〇~四〇センチメートルの円形であり、深さは六〇~八〇センチメートル、ほぼ等間隔に配置されていた。
住居址の西南隅に柱状の炭火物と、一×二メートルの範囲に薄い焼土層が残存していたが、床面より五~一〇メートル浮いており、床面上には、炉址及びカマド址の痕跡はみられなかった。
しかし、床面上からは、壺形土器七個、高坏形土器六個、坏形土器五個、そのほか多数の破片が出土した。それらは、いずれも土師式土器であり、鬼高式に属する。
このほか、南側壁の中央部に接して、南北〇・六メートル、東西一メートルの長方形を呈する貯蔵穴が発見された。貯蔵穴の中からは、壺形土器一個、高坏形土器二個、坏形土器一個、深鉢形土器一個、甑一個が出土した。また、西北隅の柱穴に接して、石器が一個発見されている。