2―139図 古墳時代各時期の住居址平面図
市内で発掘された五領式期の平面プランは隅丸方形か方形に近いものが多く、和泉式以後方形となる。宮崎第一遺跡(註一)の五領式土器を伴う住居址は六戸で、いずれも隅丸方形をなし、一辺五~七メートル。周溝を伴う例が比較的多く、炉の位置は北側に寄る傾向があって、柱穴は四本であり、床面から出土する器台形土器や甕形土器の中には、黒くススの付着するものが多く見うけられるが、畑町宮脇遺跡(註2)の五領式住居址は二戸で、いずれも方形であった。このうち、第二号址は一辺三メートル、第一三号址は一辺五メートルで、第二号址には柱穴も炉址も検出されなかったと報告されているが、この住居址からは、台付甕形土器(器台形土器と甕形土器の復合したもの)の器面にススの付着が見られるところから、やはり住居址内に簡単な炉があって、そこで煮炊きが行われたのであろう。この器形の土器は焔の熱効率が甕の下腹部に集中する関係から、比較的小規模な焚き火で穀物を煮沸することができるから、カマドが発達しない段階の竪穴住居では、まことに便利な炊事用具であった。
2―137図 宮脇遺跡第13号住居址(五領式期)の出土状況 (『宮脇』)
2―138図 宮脇遺跡第2号住居址出土の台付甕形土器
(五領式期) (『宮脇』)