真間式期

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 真間式期の住居址は、宮崎第一遺跡の八号C・二〇号・二三号・二九号・三三号・三六号・四〇号、大森第一遺跡の四号・一二号・一四号C・一五号・一六号B・一六号C・一八号A・一九号・二九号、大森第二遺跡の三号・四号・一八号D・二一号C・二二号・三九号・四〇号A・五一号・五六号・五七号・六七号である。
 大森第二遺跡の一一個の住居址群には、二つの単位集団がある。このうち、南側の集団は以前からの古村で、七戸からなるが、三号と四号は重複部分があるから、実際の同時制集落は、六戸以内であったろう。これらの住居址のうち、中央よりやや南東方に位置する二一号C住居址は、六・五〇×六・三八メートルで最も大きく、その周りをとりまく他の六戸は、一辺五~四メートル級の住居址ばかりである。次に北側の単位集団の四戸は、いずれも一辺四~三メートル級の住居址からなり、規模もやや小さい。このことは、恐らく北側の単位集団は南側の古村から分離して成立した新集団で、経済力も低く、古村の有力者と思われる二一号C住居址の族長の統率下に従属した関係にあったのではなかろうか。

2―149図 大森第2遺跡の真間式期遺構配置図    (『京葉』)


2―150図 大森第2遺跡第21号C住居址(真間式期)の出土状況    (『京葉』)

 一般に真間式後半の竪穴式住居址は、それ以前のものに比べて床面積が狭くなるばかりでなく、形のくずれる傾向があり、出土遺物も貧弱である。