台地上の輪郭については、大きくみて二つの部分に分けられる。一つは、やや長方形に近い舌状台地を、現存する三本の堀割りによって、四つの「くるわ」(曲輪)に仕切られた部分で、「西要」と「東要」の西半分に当たる。そこで台地は、北と南から深く刻まれた小支谷によって、一端、急にくびれ、幅二メートル、長さ二五メートルほどのやせ尾根によってわずかに連結している。このくびれの過半は自然地形によるもので、その北側の裾部には「星の井」と呼ばれる湧水点があり、南側の裾にある「天井ない」という屋号の家の側面にも、豊富な湧水洞がある。
このくびれ部を挾んで、東側の台地は独立して別個の丘陵をなし、小字では「東要」のうちに含まれながら、別に「要害台」または「城山」という。この二つの部分は、地形的にも、遺構の形態からみても、全く性格を異にしている。
とりあえずは、現存する堀割りをもとにして、台地の西端から順に、「西要」を第Ⅰ曲輪(ぐるわ)と第Ⅱ曲輪に、「東要」の西半を第Ⅲ曲輪と第Ⅳ曲輪に、そして「東要」の東半である「要害台」を第Ⅴ曲輪と名づけ、順次、その遺構の状態を概観してみる(二―一九〇図)。
2―190図 大椎城址遺構部概念図