第Ⅰ曲輪

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 (南北五〇~七〇メートル、東西九〇メートル、台形、面積約五千四百平方メートル、標高七八~八〇メートル、A・Bの二郭に分かれる)
 北側、西側及び南側縁辺は扉風折りに、西側は凹字形にひずんでいる(折邪(おりひずみ))。北側及び西側には、幅一~二メートル、高さ〇・五~一メートルの土塁状遺構があり、東側の「一の堀」に面した縁辺には、幅二~五メートル、高さ〇・五~一・五メートルの土塁が残っている。また、この曲輪の西南端と東南端は、「出隅」状に突き出ており、そこから南側面の腰曲輪(ア、イ、ウ)や「ねごや」の中心部(ソ、タ、チ、ツ)などがよく見通せるようになっている。
 ところが、この第Ⅰ曲輪のほぼ中央部には、従来、南から北に向ってカギ形の堀切りがあり、その堀切りの西側にも幅二~三メートル、高さ二メートルほどの土塁があったが、昭和初年に耕作のため、この土塁を削り落し、堀を埋めたという。したがって、この堀切りによって、この第Ⅰ曲輪は(A)・(B)二つの曲輪に分割されており、特にⅠ―(B)の方を「桝形(ますがた)」と呼んでいたという。現在、「一の堀」に面した土塁の中央部が虎口状に切り開かれているが、これは、中央の堀切りを埋めた際につけ替えたものだという。