(第Ⅰ曲輪)
やはり標高七五~七〇メートルの中腹部に、幅五~六メートルの帯状曲輪(ア)があり、その北端、中央及び南端の三カ所に、三角形の突出部(A・B・C)があり、それぞれ物見の機能を充分に果たせる位置にある。特に、中央のBにおける眺望は、もっとも視界が広く村田川をへだてた西方の「隠居城」と呼ばれる台地や、その中腹にある八幡神社(西の守護神か)、城下縁辺の「根廻」と呼ばれる腰曲輪などを、一望のもとに監視できる
なお、北及び南端の物見台(A・B)には、底辺一〇メートルほどの正三角形で高さ一・五~二メートルの塚状の高台がある。これは各物見台からの情報を的確にキャッチし、最奥の「詰め」である第一曲輪に、直接伝達するための重要な役割を担う場所であり、あるいは「やぐら」の跡とも思われる。しかも、その三角状の高台から、それぞれ角状に突出したやせ尾根があり、その先端部にも物見状のテラス(E・D)が作られている。
更に、その腰曲輪(ア)の下段には、二~三段の腰曲輪(ケ、コ、サ、シ、ス、セ)が設けられ、その最下段の(サ)及び(セ)の一角には横井戸(Q・P)がある。特に南端裾部の横井戸(P)の周辺には桝形状の土塁がめぐらされ、一種の「井戸曲輪」をなし、そこから物見台(D)に登る道がある。