さきに示した型式分類と編年とによって、立山城址をみると、「桑垣地区」は、直線的連郭式城郭で、「立山地区」は台地上連郭式方形館城ということになる。しかし、「桑垣地区」の連郭式も、その堀の形状や曲輪の形態からみると、大椎城址よりは自然地形に忠実であり、折邪などもなく、単純で、やや古い形態となる。しかも、「Ⅱの曲輪」の型式からすれば、おそらく、鎌倉初期までさかのぼる可能性もある。
したがって、この城址全体からみるならば、居館から館城へ、館城から城郭への発展過程を示しており、その最終年代も、腰曲輪や堀底道があっても、おそらく戦国時代まで下ることはないものと思われる。城内出土の土器類の時期をみても、平安末から鎌倉時代までの年代にさかのぼりうる可能性は充分にある。