文政六年(一八二三)八月に、加曽利村、長峯村、下坂尾村、上坂尾村、川戸村、仁戸名村、星久喜村の七カ村は、この御用について次のように述べている。
当組合村々は、春夏秋冬の四季の御鷹御用を勤めている。春・秋・冬に御鷹匠一行が東金へゆく時には、止宿、人馬継立ては、仁戸名村に仰せつけられ、組合村々で勤めている。詰人足、送り人馬、水夫(炊夫)人足、掃除人足など、一年で千人程もかかるため、矢作村から人馬助けをだしてきた。
夏の御鷹御用の節は、加曽利村で宿をとり、七、八軒位ずつ賄(まかな)いを命じられて、二宿・三宿を毎年勤めている。御用前掃除人足、水夫人足、賄茶番等で六百人くらい勤めている。
その他雲雀(ひばり)御上鳥継立ての場が仁戸名村台にあり、川戸村と他領遍田村、小花輪村で勤めてきた。
星久喜村は、千葉町台へゆき雲雀継立てを行なってきた。
夏の御鷹御用の節は、加曽利村で宿をとり、七、八軒位ずつ賄(まかな)いを命じられて、二宿・三宿を毎年勤めている。御用前掃除人足、水夫人足、賄茶番等で六百人くらい勤めている。
その他雲雀(ひばり)御上鳥継立ての場が仁戸名村台にあり、川戸村と他領遍田村、小花輪村で勤めてきた。
星久喜村は、千葉町台へゆき雲雀継立てを行なってきた。
また和泉村でも、
御上馬持人足、飼鳥持人足を差し出し諸御役人、鷹匠様方を和泉村一村にて御旅宿つかまつり……。
と同様な勤めを果たしていた。