日光社参

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 日光社参というのは、日光東照宮で行われる四月大祭に将軍自ら参詣する行事であり、幕末までに一九回を数えた。
 中期以降は、安永五年(一七七六)と、天保十四年(一八四三)の二回である。安永五年の行列は、「大勢のお供は、江戸より日光まで人馬一続きにあいなり」という状況で、このため人馬の徴発は、関東八カ国に及んだ(『交通史』一四二ページ)。天保十四年の場合にも、その影響は千葉周辺にも及んでおり、助郷免除願の争論が各地で起こっている。