江戸時代の千葉町の状況を知る史料が少なく、ここでは、明治初年(一八六八)ころの『千葉町職業別分布図』(和田茂右衛門氏作成)によって、概観してみる(一二〇ページ、四―七図参照)。
千葉の町は、道場町、院内町、横町、通町、本町、裏町の六町に分けられており、本町と裏町は、それぞれ上・中・下町の三つに分けられていた。
道場町は、佐倉街道へ通ずる道の両側で、江戸中期以降の繁昌地であった。現在の広小路と、佐倉街道との交差する周辺が横町である。
ここには、醤油釀造業の近江屋があり、近江屋仁兵衛は、千葉町で有数の商人であり、千葉組一二人のうちの一人である。
現在の広小路通りが本町で、裏町が並行していた。幕末には裏町通りに商店が多かった。呉服屋、綿屋、煙草屋、旅籠屋、荒物屋、酒屋などが連なり、裏中町の豊島屋は、酒造を行い大きかった。