上納金額 | 上納金負担者数 | 上納金負担者氏名 |
0~1両 | 32 | |
1~5 | 80 | |
5~10 | 9 | |
10~20 | 1 | 千葉 忠蔵 |
20~30 | 2 | 千葉 仁兵衛,利兵衛 |
30― | 1 | 登戸 善七 |
計 | 125人 | 合計上納金額 260両2分2朱 |
(木村,杉本編『譜代藩政と明治維新』p70所収)
町村名 | 上納金額 | 負担者数 | 氏名 |
千葉町 | 134両3分 | 54人 | 忠蔵(10両) |
寒川村 | 38両 | 21 | |
登戸村 | 87両3分 | 50 | 善七(30両) |
260両2分 | 125人 |
(『佐倉市史』巻2.p227から作成)
最高の献金者は、登戸村の善七であり、ほかに千葉町の利兵衛・仁兵衛・忠蔵が一〇両以上を納入している。寒川村の仁右衛門は、廻船業者であった。
また安政六年(一八五八)から明治二年(一八六九)にかけての一〇年間に、佐倉藩の財政難に際して、藩に金を貸しつけた人々は、四―二〇表のとおりである。
町名 | 氏名 | 調達金額 |
千葉町 | 利兵衛 | 3800両 |
登戸村 | 善七 | 2400 |
千葉町 | 円治 | 1500 |
〃 | 四郎兵衛 | 1350 |
〃 | 仁兵衛 | 1250 |
〃 | 源六 | 500 |
〃 | 源兵衛 | 300 |
寒川村 | 半四郎 | 300 |
千葉町 | 金平 | 200 |
登戸村 | 喜助 | 100 |
(『佐倉市史』巻1.p621―640から作成)
千葉町では、利兵衛・円治・四郎兵衛・仁兵衛が千両以上であり、特に利兵衛の三千八百両が多い。利兵衛の場合は、万延元年(一八六〇)の藩の財政改革に際して、金六百両をやはり藩に貸付けている。利兵衛の場合後述するように、佐倉炭の専売に際して、御用達係りをつとめており、こうした藩との関係が深かったためと思われる。円治も炭仲間取締り役をつとめており、仁兵衛は、前述した醤油業であった。
登戸村善七の金額もかなり多く、やはり万延二年に、五百両を出しているところをみると、藩との関係の深かったことを思わせる。
この表にみられる千両以上の貸付金を有する町人は、かなり大きく商売を営んでいた人々で、それだけにまた藩と密接な関係にあったといえる。しかしこうした商人はごくわずかであり、大部分は、献金五両以下にみられる小規模な経営であった。