千葉町の商人

89 ~ 90 / 492ページ
 交通の拠点としての千葉町は、周辺の農村を後背地として、次第に商業的発展がみられた。安政三年(一八五六)の大地震により、佐倉藩でもかなりの被害をうけた。江戸屋敷、佐倉藩家臣屋敷の復興のため、領内の者に献金させたが四―一八表・四―一九表が、千葉町、寒川村、登戸村関係の献金者一覧である。全部で一二五人、二六〇両二分となっている(『譜代藩政と明治維新』七〇ページ、『佐倉市史』巻二、二二七ページ)。
4―18表 千葉町(含登戸,寒川)上納金負担表(安政2年)
上納金額上納金負担者数上納金負担者氏名
 0~1両32 
1~5 80 
5~10 9 
10~20 1 千葉 忠蔵
20~30 2 千葉 仁兵衛,利兵衛
30―  1 登戸 善七
125人合計上納金額 260両2分2朱

(木村,杉本編『譜代藩政と明治維新』p70所収)


4―19表 町村別上納金負担者数(安政2年)
町村名上納金額負担者数氏名
千葉町134両3分54人忠蔵(10両)
寒川村38両   21 
登戸村87両3分50 善七(30両)
260両2分125人

(『佐倉市史』巻2.p227から作成)


 最高の献金者は、登戸村の善七であり、ほかに千葉町の利兵衛・仁兵衛・忠蔵が一〇両以上を納入している。寒川村の仁右衛門は、廻船業者であった。
 また安政六年(一八五八)から明治二年(一八六九)にかけての一〇年間に、佐倉藩の財政難に際して、藩に金を貸しつけた人々は、四―二〇表のとおりである。
4―20表 佐倉藩調達金差出者
町名氏名調達金額
千葉町利兵衛3800両
登戸村善七2400 
千葉町円治1500 
四郎兵衛1350 
仁兵衛1250 
源六500 
源兵衛300 
寒川村半四郎300 
千葉町金平200 
登戸村喜助100 

(『佐倉市史』巻1.p621―640から作成)


 千葉町では、利兵衛・円治・四郎兵衛・仁兵衛が千両以上であり、特に利兵衛の三千八百両が多い。利兵衛の場合は、万延元年(一八六〇)の藩の財政改革に際して、金六百両をやはり藩に貸付けている。利兵衛の場合後述するように、佐倉炭の専売に際して、御用達係りをつとめており、こうした藩との関係が深かったためと思われる。円治も炭仲間取締り役をつとめており、仁兵衛は、前述した醤油業であった。
 登戸村善七の金額もかなり多く、やはり万延二年に、五百両を出しているところをみると、藩との関係の深かったことを思わせる。
 この表にみられる千両以上の貸付金を有する町人は、かなり大きく商売を営んでいた人々で、それだけにまた藩と密接な関係にあったといえる。しかしこうした商人はごくわずかであり、大部分は、献金五両以下にみられる小規模な経営であった。