千葉寺町にあり、真言宗の寺院である。和銅二年(七〇九)行基の開基とされている。千葉氏との関係は、千葉常重が、上総大椎より千葉猪鼻の城館に入ったとき以来千葉氏の氏寺となった。また関東の観音霊場として第二九番の札所となっている。なお千葉寺には「戻り鐘(もどりがね)」と「千葉笑(ちばわらい)」という奇聞が伝えられている。「戻り鐘」は千葉寺の鐘楼に弘長元年(一二六一)十二月二十二日の銘が入った梵鐘があったといわれている。『相馬日記』に「改鋳のため江戸へ出したところひとりでに鳴りだして、千葉寺、千葉寺と音がしたので恐れられて戻されたので、戻り鐘といわれた。」(要約)というものである。文化年間以後この鐘の所在はわからなくなった。
「千葉笑(ちばわらい)」については『本朝俗諺志』に「下総国千葉地方里人、毎年十二月晦日夜、会千葉寺、蔽面包頭、大声褒貶奉行・頭人・荘屋・年寄邪正善悪及子弟之不孝不友等、故上自吏人下至子弟輩。大懼此笑、各自戒飾云、」と記されている。封建制下のきびしい規制下に在って、住民が寺に集まり、覆面をして、支配者の治政や行動を批判し、悪口を浴びせたりする。家族の間の不満などをぶちまけたりして、一年間の不平不満をはらすという奇習である。このような奇習は、舞鶴市の水無月神社・高知県安芸郡丸根村の八幡宮にもみられたと、高橋氏が『房総の年輪』の中で、述べられている。また明治四十三年(一九一〇)同寺の門前名主であった畑野勇治郎の庭前より発掘された同寺の愛染堂の釣燈籠(天文十九年銘)が有名である。