目次
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第5章 近代
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第一節 明治維新と郷土
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第二項 新しい世の中
裁判所の設置
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千葉町に県庁がおかれたのに伴って、裁判所も印旛、木更津の二裁判所を合体して千葉町に千葉裁判所が新設された。設置は明治六年六月二十日となっている。『千葉繁昌記』によると「人事百般の裁決を下す所なるを以て代理、弁護の任務を執るの弁護人又は補佐を為す代理人若くは訴訟人の千葉町に住居又は往来するもの多く之が為め千葉町の繁昌を来たすこと少なからずと云ふ」とあって、裁判所の設置が千葉町の繁栄に寄与していることがわかる。
明治中期発行の『千葉繁昌記』 <成田図書館蔵>
裁判所は新設当初は、仮庁舎を大日寺本堂内においたが、火災で焼失のため、その後現庁舎位置のところへ移った。明治九年十月には千葉裁判所の名称が東京裁判所千葉支庁と改称されたが、このとき新たに千葉区裁判所がおかれている。ついで東京裁判所千葉支庁は千葉始審裁判所と変わり、さらに裁判所構成法の実施に伴って千葉裁判所、千葉区裁判所が確定し、今日に至っている。名称が相ついで変わったことは、明治新政府の揺籃期を物語るものであろう。