明治七年には三井組の提唱で千葉、寒川、登戸などの有志が一千二百余円を寄付して共立病院を創設して、町民たちの健康を守るために努力している。当初は本町一丁目の柴田某の家屋を借用して発足したものだが、県当局も大いに賛同、二階堂謙を院長として派遣してよこしたほどである。これが千葉大学医学部、同付属病院の始まりである。
そのほか明治九年十月、青森県士族長岡久茂ほか一二人による千葉県庁襲撃未遂事件も大きなニュースであった。
このように千葉町は、明治初期から活況をみせ発展への道を歩み始めている。
医学校のスタート