町村制発足の経緯

170 / 492ページ
 町村制は明治二十二年にスタートしたわけであるが、発足にあたって元老院では、①人口の多寡により町村の階級を分けて区別すること、②町村長を名誉職とする、③町村制施行の範囲が問題となったが、①は区別をしないこと、②は原則として名誉職(無給)とするか、町村会の議決で有給にしてもよい、③は原案のままということになった。町村制は八章一三九条からなっている。
 市制町村制を決めた法律によると、公民として市町村の選挙に参与するには、公権を有する男子で、二年間市町村の住民となり、市町村の負担を分担し、その市町村内で地租もしくは国税を年額二円以上納めることを要すと明記されている。
 町村会の議長は町村長があたり市と町では執行機関も異っていた。町村長は町村会で選任される間接選挙で、郡からの委任事務も負担するよう義務づけられ、費用は町村の負担とされた。町村行政の監督機関としては、第一に郡長、第二は府県知事、第三に内務大臣となっていた。
 町村制施行に当たっては、独立して従前の区域を存するものを原則としたが、独立して自治の目的を達成するには、各町村とも相当の資力を要したので、町村の区域が狭く、しかも戸数が少ないため独立の自治に堪える資力のない町村には合併を奨励した。
 合併の基準としては、各町村ともおよそ戸数三百戸以上(三百戸から五百戸)とし、それまであった連合区域と同じくするようになっていた。特に当時の戸長所轄区域で、地形上故障のないときは、なるべくその地域内の各町村を合わせて一町村とすべきよう指示をうけた。
 こうして準備期間をおいたのち、二十二年四月一日にスタートしたのである。