明治二十年代の製造業

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 明治二十年代までの、千葉町・千葉郡地域の製造業は、まことに貧弱で、特にみるべきものもなく、副業的な家内工業によって、日常の必需品――農家向けでは、かま・くわ・すき・むしろなど、一般家庭向けには、げた・かさ・足袋・提ちん・うどん粉・そば粉など、――の生産が主なものであった。このような中にあって、全県的な比重は低くかったが、当地域内での生産額は高く、重要であったのは、醤油・味そ・酒などの醸造業であった。生産形態は、工場制手工業の段階に達していたが、生産規模は小さく、醸造高も少なかったので、地元消費向けであった。
 全県的に知られていた貝灰生産は、砂糖・こんにゃく・建築用しっくい・紙すきなど、多方面にわたる需要の増大につれ、生産が拡大し、貝塚を発掘して原料とすることもみられた。