明治二十年前後の、千葉町の主な事業所は、次のようであった。
1 印刷業関係―これは、当市域の特記すべき部門であった。
積成舎――寒川長州にあって、県庁や、役所の仕事を主とした。
千葉活版――本町にあって、千葉民報の印刷を主な仕事とした。
東海新聞――市場町にあって、積成舎に次ぐ規模をもち、新聞を刊行。
博聞館――書籍・雑誌の印刷。
2 度量衡関係――この部門も、当市域の特記すべきものであった。
度器製作は本町、量器は市場町、衡器は新町に、製造所があった。衡器製作は、新町の大野製作所が独占することになる。
3 澱粉製造関係―明治二十五年十一月、千葉町二、〇五九番地に、大石合名会社が設立された。
4 製糸関係―明治十年、県は千葉町に勧業試験場を設立し、鉄製一〇人びきの蒸気器械をすえつけ、製糸法の伝習を行い、同十三年まで製糸伝習生を養成、県下に配置した。
県内で、民間の製糸工場が設立された年代は、坐繰(ざぐ)りによるものは、明治十六~二十年ころであった。器械製糸は明治二十二年、君津郡で設立されたのが最初とされている。
わが千葉市域は、養蚕・製糸とも遅れていたが、このころになると、養蚕業が少しは盛んになった。このような中で、明治二十三年、通町富士見橋付近に、市原の豪農や、千葉町の呉服商らの発起による、水力を利用して、糸とり車を動かす製糸所――社名千宝社――が設立され、最盛時には、女子工員三〇名を擁していた。
以上のほか、建具・表具・提ちんは、長州・吾妻・本・道場・市場の各町に、洋服・染物・靴は、市場・本・長州・寒川・通の各町に製造する者がいた。経木(きょうぎ)・真田(さなだ)は、明治二十七年ころから製造されるようになった。