韓国暴動事件と郷土

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 日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)でロシアは韓国に対する日本の優越的な地位を認めた。そのため日本は韓国の外交と内政とを監督することになり、明治四十三年(一九一〇)、韓国人のはげしい反対をおしきって日本はついに韓国を併合した。この韓国併合の前に韓国の各地に暴徒事件が発生したので佐倉連隊もこれを鎮圧するために出動した。このとき、郷土から出動した兵士のうち、二名が戦死し、六名の戦傷者がでた。