世界第一次大戦

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 日露戦争後からヨーロッパにおいてドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟とイギリス・フランス・ロシアを結ぶ三国協商とが対立した。イギリスはドイツの海外発展をおさえようとしたからであった。この情勢の中でバルカン半島にあるセルビアがロシアのあとおしで領土をひろげようとしてオーストリアとの対立がはげしくなった。大正三年(一九一四)、オーストリアの皇太子がセルビアの青年に暗殺されて、両国が開戦した。これをきっかけにしてドイツはロシアとフランスに宣戦した。ついでイギリスもドイツに宣戦して第一次大戦は始った。日英同盟を結んでいた日本もイギリス側に立ってドイツに宣戦をした。第一次大戦は大正七年(一九一八)にドイツを中心とする同盟国側の敗戦に終わった。この間約四年、アメリカ合衆国もドイツに宣戦し、参戦国約三〇国にのぼり、約三千百万の兵士が死傷し、それぞれの国では生活物資の不足に苦しんだ。また、大正六年にロシアに革命がおこり、帝政が倒れて社会主義のソビエト政府ができ、ドイツと講和条約を結んだ。この革命の影響をおそれた諸国は革命反対派を助けた。日本もイギリス・アメリカとともにシベリアに出兵した。ソビエト革命軍がシベリアのニコラスフスクの日本軍を襲撃し、居留民七百名を惨殺した。そのため日本軍はニコラスフスクを再占領した。これを尼港事件といった。日本軍は大正十一年六月にシベリアから撤兵した。
 第一次大戦とシベリア出兵について佐倉連隊をはじめ横須賀鎮守府の海軍に所属する兵士が、郷土から出征した。この戦争に郷土から二名の戦死者を出し、一三七名の戦傷者をだした。戦死者は勲章と特別賜金をうけ、戦傷者も勲章と賜金をうけた。第一次大戦はヨーロッパ諸国に軍需品と生活物資の不足をもたらし、この供給国としてのアメリカ合衆国と日本の工業と海運業を著しく発達せしめた。日本はヨーロッパに輸出するだけではなく、ヨーロッパにかわってアジアにも商品を輸出した。大戦による好景気でにわかに大きな財産をきずきあげて成金といわれる者もあらわれた。しかし、物価が著しく上がり、郷土も国民も生活は苦しくなった。全国的に米騒動がひろがったりした。大戦が終ると、外国への輸出や国内の需要がにわかにすくなくなり、大戦中にふえた多くの工場や会社、銀行がつぶれて失業者が増加し、不景気が深刻になっていった。
5―44表 第一次大戦・シベリア出兵の従軍受賞者
受賞金
地区  
60円70円80円90円120円150円170円

180円
200円220円

250円
300円

350円
400円500円600円

700円
蘇我




2


1

1






4
椎名4234112118
誉田1213221113
白井22412121116
更科111321110
千城113131111
都賀121211111112
犢橋1124
幕張424221331123
検見川114623211122
1189112618913108523133

千葉町,生実浜野町は不明