県内自作農 15戸平均 | 都村小作2戸 | |
玄米収量 | 石 3.455 | 石 3.100 |
種子代 | 0.68 | 0.71 |
自給肥料 | 5.95 | 12.00 |
購入肥料 | 7.93 | 7.55 |
家族労賃 | 22.77 | 30.69 |
雇入労賃 | 5.41 | 0.22 |
農具損料 | 2.16 | 0.64 |
建物償却 | 4.53 | 0.63 |
租税負担 | 7.40 | 1.34 |
土地資本利子 | 17.78 | 17.50 |
計 | 74.61 | 71.28 |
副収入 | 4.43 | 8.85 |
(『千葉県農会誌』による)
米作 反当たり経費(2石1斗の収量) | |
種子代(4升) | 1円80銭 |
労賃(男1.2円×19人 女0.7円×13人) | 31円90銭 |
肥料代 | 15円 |
公租・公課 | 5円40銭 |
建物・農具償却費 | 4円 |
〃 修理費 | 3円 |
俵装その他 | 3円 |
土地資本利子 | 25円20銭 |
(地価360円×7%) | |
計 | 89円30銭 |
1石当たり 44円
(注)土地資本利子を控除すると32円位となる。
(千葉県農会『愛土』大正10年1月号より)
県農会からの投売り防止指令は、石当り三五円を目途にしていた。米価は大正十四年以降、連続下降して、ついに、昭和五~七年のどん底には二〇円を割るところまで、低落した。
郡農会による投売り防止のビラ
問題は米価の上下に即応して、一般物価や労賃、特に生産費の中に繰りこまれる、肥料・農器具の価格が平行すれば良いのだが、現実はそういうわけには行かなかった。工業製品は不況下に、生産調整が行われるとともに、一方的、独占的に価格が決定されるから、いわゆる、シェーレ状価格差を生じ、農家経済を圧迫した。農家の対抗する手段は、他に有利な商品作物も見当らないので、ひたすら生産を続け、収入減は増収と、自家消費を切りつめての、販売量増加しかない。昭和九年、県農会調査によると、この飯米欠乏農家は、県下一六万農家中、約三割にあたる四万八千八百戸に達した。
欠乏農家が五割を越える町村数は、五月現在で一〇四に上がった。諸支払いのため、やむをえぬ売り過ぎ、所有耕地の狭小が原因とされる。彼らは兼業収入で再度米を購入するか、地主・商人に借入を頼まなければならなかった。
地形による水田率の大小にもよるが、市域における、産米自給可能村は、生浜・椎名・白井・更科・都・千城で、残る蘇我・誉田・都賀・犢橋・検見川・幕張は不足する町村であった。『千葉県史、大正・昭和編』によると、大正七年の米騒動の時、千葉郡の状況を次のように記している。
農家の日雇いは一日八十銭から一円位になるが、野菜・麦類の収穫期(八月のこと)なるを以って収入もあり、生計困難ならず。労働者は各種の事業勃興せる結果、収入多いばかりでなく、人員に不足をきたす程で、これまた生計に困難ならず。漁民不漁の場合、各種工場に雇われて糊口をしのぎ、いまだ減食するものを聞かず
(県警察部調査結果)