大正初期

321 ~ 323 / 492ページ
 大正に入っても、千葉県工業は、本質的性格を変えることなく、進展した。
 大正四年(一九一五)の工業総生産額は、二、〇七一万円で、その内容は、一位の醤油約八七四万円、二位の酒類約三一〇万円であり、この二種で、全生産額の過半を占めた。
 そのほかで主なものは、工産物雑類の四三八万円、製糸織物の一六〇万円であった。一〇人以上職工の工場は、五―五一表に示すように、一八一で着実な増加を示した。一八一工場の内容は食品関係七九、繊維関係六〇、化学一〇が主なものであった。
5―51表 千葉県における職工10人以上の工場数(大正4年)
有動力無動力内容
紡織染物352560製糸14,撚糸編網17 製紐16,染物13
食品512879醤油41,酒類19 製塩8
化学7310製紙2,製油1
印刷22
電燈33
瓦斯11
その他42226樽17
総計10378181
明治43年6179140
大正元年8161142

(『千葉県統計書』より作成)


 食品関係では、醤油四一工場、酒類一九工場と多数であった。明治末から大正にかけて、成立・発展したのは、電燈会社と、紐(ひも)製造業である。
 動力関係では、有動力率五七パーセントとなった。動力の種類は、汽機六〇工場、電動機二五工場、石油発動機一〇工場、ガス発動機七工場であり、製糸工場では汽機を、製紐工場では、電動機を利用した。
 同四年、千葉市域では一六工場みられ(五―五二表)、千葉町に一三、蘇我町に三工場分布した。
5―52表 千葉市域における職工10人以上の工場数と内容(大正4年)
有動力無動力内容
製紐909千葉町のみ,麻真田9工場
製紙202蘇我町 今井製紙 明治37年創 小泉製紙 明治43年創
製油101蘇我町 今井製油 明治34年創
印刷202千葉町 積成社 明治7年創 千葉活版 明治37年創
電燈101千葉町 千葉電燈 明治40年創
瓦斯101千葉町 合同瓦斯(株)千葉工場 大正元年創
総計16016
明治43年8澱粉2,印刷2,製糸1,製油1など

(『千葉県統計書』より作成)


 工場の内容は、千葉町の麻真田工場九が、他を断然引き離した。
 真田工場は、明治四十一年創業が二、以降大正元年四、二年一、四年二であった。真田の製造は、明治二十七年頃から行われ、横浜から海外に輸出されて発展したが、長続きせず、大正八年には三工場に、九年には、一工場と衰退して行った。真田工場での特色は、全工場で電動機を利用していたことである。合同瓦斯(株)は、都川川口の、旧監獄署跡に、大正元年四月に創業した。
 大正初期の当市域の主な工産物は、澱粉・真田・植物油・紙・洋服・印刷・貝灰・メリヤス製品・靴・洋傘・指物類・牛馬具などであった。
 なお、メリヤス製品は、無動力工場ではあったが、大正五年千葉町に手袋工場と、靴下工場が設立され、従業員二一名であった。
 大正三年、第一次世界大戦がぼっ発し、そのため、一時、貿易・海上輸送は中断したが、主戦場から離れていたわが国は、経済発展の機会を得ることになった。翌四年の中ごろから輸出が急増し、そのため、貿易・海運・造船を初めとして、それらの関連産業が発展し、それがまた、他部門の産業を刺激し、製造業を中心とする会社の拡張や、新設が盛大に行われた。いわゆる戦争景気であるが、これは、五年ころから七年ころまで続いた。この戦争景気の中で、特に発展したのは、機械器具工業と、化学工業の両部門であった。