大正四年(一九一五)の工業総生産額は、二、〇七一万円で、その内容は、一位の醤油約八七四万円、二位の酒類約三一〇万円であり、この二種で、全生産額の過半を占めた。
そのほかで主なものは、工産物雑類の四三八万円、製糸織物の一六〇万円であった。一〇人以上職工の工場は、五―五一表に示すように、一八一で着実な増加を示した。一八一工場の内容は食品関係七九、繊維関係六〇、化学一〇が主なものであった。
有動力 | 無動力 | 計 | 内容 | |
総計 | 103 | 78 | 181 | |
大正元年 | 81 | 61 | 142 |
(『千葉県統計書』より作成)
食品関係では、醤油四一工場、酒類一九工場と多数であった。明治末から大正にかけて、成立・発展したのは、電燈会社と、紐(ひも)製造業である。
動力関係では、有動力率五七パーセントとなった。動力の種類は、汽機六〇工場、電動機二五工場、石油発動機一〇工場、ガス発動機七工場であり、製糸工場では汽機を、製紐工場では、電動機を利用した。
同四年、千葉市域では一六工場みられ(五―五二表)、千葉町に一三、蘇我町に三工場分布した。
有動力 | 無動力 | 計 | 内容 | |
総計 | 16 | 0 | 16 | |
明治43年 | 8 | 澱粉2,印刷2,製糸1,製油1など |
(『千葉県統計書』より作成)
工場の内容は、千葉町の麻真田工場九が、他を断然引き離した。
真田工場は、明治四十一年創業が二、以降大正元年四、二年一、四年二であった。真田の製造は、明治二十七年頃から行われ、横浜から海外に輸出されて発展したが、長続きせず、大正八年には三工場に、九年には、一工場と衰退して行った。真田工場での特色は、全工場で電動機を利用していたことである。合同瓦斯(株)は、都川川口の、旧監獄署跡に、大正元年四月に創業した。
大正初期の当市域の主な工産物は、澱粉・真田・植物油・紙・洋服・印刷・貝灰・メリヤス製品・靴・洋傘・指物類・牛馬具などであった。
なお、メリヤス製品は、無動力工場ではあったが、大正五年千葉町に手袋工場と、靴下工場が設立され、従業員二一名であった。
大正三年、第一次世界大戦がぼっ発し、そのため、一時、貿易・海上輸送は中断したが、主戦場から離れていたわが国は、経済発展の機会を得ることになった。翌四年の中ごろから輸出が急増し、そのため、貿易・海運・造船を初めとして、それらの関連産業が発展し、それがまた、他部門の産業を刺激し、製造業を中心とする会社の拡張や、新設が盛大に行われた。いわゆる戦争景気であるが、これは、五年ころから七年ころまで続いた。この戦争景気の中で、特に発展したのは、機械器具工業と、化学工業の両部門であった。