中心商店街の成長

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 大正期の商店街は明治末の商店街の三倍の規模に成長した。大正十一年の商店(専業)は二、八八七、世帯総数の三九・九パーセントが商業者であった。このころの主な商店街は本町・吾妻町・通町・市場町・長洲町などであった。特に、国鉄の千葉駅と本千葉駅、京成電鉄の京成千葉駅などは、これらの商店街に対して商圏内からの人々の出入口となった。そのためそれぞれの駅前商店街ができて、明治以来の主な商店街に連続した。特に、本町・吾妻町・通町は、中心商店街となった。これらの商店街を強化する歓楽街が吾妻町の裏通りであった。大正十四年の『千葉市街実測図』の裏書(『千葉県史大正昭和篇』)に当時の歓楽街について紹介している。
 吾妻町裏通り一帯は明治初年までは、文字通りの蓮池であったのが、今では赤い灯の瞬きに紛る、三昧の忍び音艶めかしい巷と変り、泥中の蓮花は物言う解語の花に化し、御神燈を吊す家が四十余、これに稼ぐ大小芸妓が百五十余名とは盛んなものでござる。
 電車停留所から東京街道を西へ六丁余、左側の大門を入れば廓内の青楼九軒。

 これらのほか、県公会堂は大広間・休憩室・娯楽室・球戯室・食堂・料理室などそなえた社交場であり、定員千名を入れる県内一の亥鼻館・羽衣館・演芸館などの映画館があった。

大正末~昭和初期の本町通り商店街


昭和2年当時の本町通り


昭和5年当時の吾妻町通り


昭和14年当時の新通町通り

 当時の商店は約三千といわれたが、その主なものについて『千葉市街実測図』が店名をあげている。
 呉服 浜田(綿屋)、奈良屋、宇井、加納屋、ゲタモ、坂本、沢本
 洋物 松山堂、多田屋、一力、森川、ゲタモ洋品部
 洋服 塩田、万崎、萩原、森田
 足袋 和田、内山
 下駄 村越、伊豆屋、富原
 家具 根本、梅村、紅茂
 金物 大島、沢部
 紙類 和田、杉田、市原
 書籍文具 多田屋、文化堂、郁文堂、好旭堂、淡路屋、宝文堂、松田屋、文友堂、朝日堂
 薬 国松、小倉、小池、矢沢、浅田、土屋
 写真 鈴木、丸山、志方、安武、佐藤、玉水館
 印鑑 金井、一貫堂、田代、権田
 株式両替 三守、大川
 菓子 大橋堂、新柳、川口、大石堂、木村屋、福島屋、和泉堂
 砂糖乾物 飯豊、八十八、都屋、須藤、丸紅屋、杉浦
 酒類 石橋、山長、高田、井上、安藤、戸田、松村、田村
 米穀 尾張屋、浜野屋、大森、大和屋、高田
 旅館 梅松屋、加納屋、牧野屋、長崎屋、油屋、羽田屋、梶田屋、万菊、上総屋、高原館、印西館
 料理・割ぽう店・待合 梅松屋紅翠館、梅松別荘、加納屋楽兵館、牧野屋布長館、進昌亭、梧月、一力、川万、万安、万盛庵、吾妻倶楽部、ふさ本、藤本、喜久水、末広、安田、並木、相原、日の出、中田屋
 商人宿・下宿 若梅、田川屋、時田屋、甲州屋、上総屋、海老屋、南総館、鶴谷、常陸屋、長生館、内山館、小川屋
 運送 千葉海陸運送、三ツ星運送、通運支店、西川運送、治郎丸
 その他 千葉活版所、西原活版、大野度量衡、美術堂、富士蓄音器、小林楽店、石丸雑貨、村越下駄、伊豆屋下駄