市の人口

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 市の人口については、前述してあるが、市役所に資料がないので『千葉市誌』及び『千葉開府八百年記念誌』、昭和前期の『市政要覧』から明治二十二年の町制以来、大正末までをあげてみる=前ページ参照(明治二十二、三年の数字には若干疑問がある。二十二年は一万九六七七人が正しいと思う。各種資料はこれを使用している。)。
5―59表 現住戸口累年比較表
年次戸数人口一戸平均人口
明治22年3,19421,5736.8
23年3,37122,7406.8
24年3,60823,5186.5
25年3,74823,9636.4
26年3,84224,6616.4
 
27年3,89124,8656.4
28年3,93225,6976.5
29年4,05626,3396.5
30年4,24427,7136.5
31年3,568△25,4647.1
 
32年3,64813,92711,96025,8877.1
33年3,63214,13912,16926,3087.2
34年3,74014,38212,42026,8027.2
35年3,86114,70912,69427,4037.1
36年3,98814,98412,96027,9447.0
 
37年4,15414,89713,18528,0826.8
38年4,02515,07613,77228,8487.2
39年4,07815,52714,51730,0447.4
40年4,35816,31615,16731,4837.2
41年4,66416,68715,47032,1576.8
 
42年4,73917,18915,51432,7036.9
43年5,20717,80116,10533,9066.5
44年5,53718,53516,77535,3106.4
大正元年5,64418,64817,21835,8666.4
2年6,05418,12717,18435,3115.8
 
3年6,15918,85317,50936,3625.9
4年6,24321,00818,93239,9406.4
5年6,25319,36717,718△37,0855.9
6年6,32518,22316,599△34,8225.5
7年6,44115,69216,390△32,0825.0
 
8年6,44114,05016,144△30,2034.7
9年6,60615,86915,71031,5794.8
10年6,91817,09316,76433,8874.9
11年7,18918,06217,63635,6985.0
12年7,88519,24620,20639,4545.0
 
13年8,38019,95720,89040,8474.9
14年8,62020,18220,90741,0894.8

(注)上表の数字は総理府統計局の数字と若干違うところがある。大正年間はほぼ同じであるが明治年間は本表より総理府統計の方が若干多くなっている。


 また大正十二年五月、房総史談会千葉市支部の林正躬、武本為訓ら九人が神田清治市長に次のような「千葉開府八百年祭」の建議を行っている。
 千葉市街ノ創立ハ大治元年(紀元一七八七年)ニシテ大正十四年ヲ以テ八百年ニ達ス千葉氏祖宗ノ勲労ヲ追懐シ、市民将来ノ覚悟ヲ立テンカ為メ茲ニ八百年ノ記念事業ヲ施設セラレンコトヲ建議ス(中略) 猪鼻丘神社ヲ創設シテ市民並ニ県民崇敬ノ中心ノ一ツタラシメ且ツ猪鼻公園ヲ拡張シテ運動場、競技場、公会堂、図書館等ノ設備ヲ有シ大公園トセラレンコトヲ建議ス。


千葉開府800年祭のアーチ