幕張町長作新田における増収組合幹事、秋山善次郎作詞になる「麦作改良ひとつとや節」を紹介して、改善努力の具体的方法をみよう。
○双葉のうちより怠らず 踏圧いたせば軸太り 風雨にあうとも倒りゃせん ○実りのよいのは過燐酸 丈のできるは窒素にて 稔りをよくする加里肥料 ○良きも悪しきも種次第 塩水選に温水選 いたせば五割の徳がある ○いつも堆肥をこしらえて 金肥の節約いたしゃんせ 堆肥は肥料の王なるぞ ○三石取りは在来で 少し改良したならば 五石 六石わけもない。
増収と並んで商品としての販売には取引先が確保され、価格の安定有利なことが望まれる。一方企業側も指導により統一された原料を入手できる有利さもあって、郡農会を経由するビール麦の共販、契約栽培が、明治三十五年から開始された。最初は大日本ビールと契約締結、ゴールデンメロン種の栽培を続けたが、明治四十四年、栽培の不手際があって病害を受け、中断した。大正六年、改めて横浜キリンビールと契約、九年には契約三千石で、同会社の契約地である山武、君津、市原、海上、匝瑳の各郡合計高の四分の一弱を占めた。普通麦より石当り三~五円の利があった。
小麦は日本製粉と取引し、二百石で県下の一八パーセントの占有率を誇った。