昭和九年一月に公布された、千葉郡農会の更生努力目標を中心に、その前後の一般事情を概観したい。
水田は約三千六百町歩、七万石であるが、反当一・九石を二・二石に伸ばす。陸稲は〇・九石から一・二石に増収を期待、合わせて減少傾向にある大麦を向上させて、食料補給に資そうとした。郡としては自給不可能であった。県下水田面積に比し、千葉郡は四・三パーセント、生産額は四・二パーセントで、平均をやや下廻る。牛馬耕は、昭和十五年には県下で五五パーセントの普及をみるが、この地域では僅か〇・二パーセントにすぎず、二毛作田五〇余町、緑肥づくり二〇町余で、ともに全県下普及率の五分の一ないし十分の一程度で、改良の実績は、単に品種の改良と統一にかけられていた。
小麦は商品作物としてかなり作付けされ、特産として秀でている。反当たり二石を目標に増収し、農家経済をうるおそうとした。畑面積はほぼ県下の一割弱にあたるので、麦類は県下平均水準を上廻っていたといえる。