千葉市は県下産業の中枢にあたり、食料品のうち青果だけでも、年六〇~七〇万円の需要があり、県下各地から供給を受けていた。しかし、需給の調和は流通経済に関係が深い。政府も配給改善と、統制を目的として中央市場法を制定、東京では昭和十年、築地本場が開設されている。千葉中央青果市場の開設は、昭和七年五月であった。国庫補助七百円を含め、借地七五〇坪の埋立を含めて総経費四、七五〇円で落成した。昭和七年の取引額二五万円、その三パーセントの手数料、店舗使用料などで千八百円弱の収入があった。一日平均牛車・馬車一〇台、リヤカー五〇台。検見川町畑からのキャベツ、葉付玉ねぎ、千葉のいちごが出荷された。夷隅郡中根のきゅうりが全盛で、単価一本一銭で、七~八百本が仕切られたという。