農家収入の赤字を補い、労働力の合理的活用を図るため、副業の奨励が盛んであったが、爆発的人気を呼んだ兎飼育を紹介する。
白兎の飼育は、もと米国に輸出需要があったが、近年不況とクレームが続き不振、昭和二年に入って、陸軍被服廠で買上げることとなり、全国的ブームを迎える。生体重量六~八百匁(二・五キログラム前後)の毛皮は一等品で、貫当たり一円六〇銭にもなった。自然の草を利用し、老幼でも楽に飼えるので、県農会でも推奨した。昭和四年四月、県養兎組合連合会で普及団体九を表彰した中に、白井村多部田組合があった。同八年度、陸軍省納入成績は、非常に少量で割当てに達せず、遺憾であるということが『愛土』にみえる。この時、千城九四、白井一四三、誉田四四、椎名三三、犢橋一五、計三七四貫の代価二〇五円余とあった。水田地帯に常識的な繩ないについて、幕張の秋山善治郎は、いかに有利であるかを『愛土』大正十五年一月号で紹介している。
ワラはもち米分を最良とする。反当たり二五〇把として、一把から五銭の繩三束を得れば、正に三七円で米一石に該当する。婦人・老人を始め、小学生も下校後、夜業でこれを行っている。打ワラ作業のとき、一割位のカスが出るが、これは堆肥として最良品となるといっている。