戦時工業開発による海面埋立

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 大正~昭和前期の末、千葉市の漁業に一大変化がおこった。地元海面に工業開発が始まり、今日の京葉臨海工業地帯を造成するための海面埋立が始まった。昭和十五年(一九四〇)六月二十二日、内務省土木会議港湾部会は臨海工業地帯の造成方針を議決した。
 輓近 我国産業の発達に伴い、時局下生産力拡充計画の進展と相俟って、各種工業の勃興著しきものあり。
 而も之等は企業の経済化乃至能率化を期する上に於て、競って其の地を臨海地帯に需めつつありと雖も、既成臨海工業地帯を以てしては、到底之等大量の需要に応ずること能はざるなり。而して従来此の種事業は概ね民間の企業に委ねられたる所なりと雖も、其の企業の如何によりては之を官公営となすを適当とするものあり、旁如上の情勢に鑑み、国又は地方公共団体に於ても之が造成することとし、且つ地方公共団体の企業に対しては、国庫に於て其企業計画中、公共施設費の三分の一を補助するの方針を確立し、以って現下重要国策の遂行に順応せしめんとす。

 この地帯の埋立計画は早くからさまざまの構想がいくたびも立てられていた。この土木会議の計画は千葉臨海(一、一六七万平方メートル)を最大の規模とし、更に広島湾臨海(四三五万平方メートル)、宇部臨海(四三四万平方メートル)や八戸臨海、四日市臨海、衣ケ浦臨海、岩国・徳山臨海などがあげられていた。当時は満州事変から支那事変に拡大し、太平洋戦争に発展しようとしていたころで、いわば戦時の工業開発であった。千葉市は消費都市から生産都市に発展することをかねてから計画していたので、この臨海工業地帯の造成機運に便乗して、土木会議の計画をうけ入れ、埋立地を造成し、国策会社としての海軍航空機製作の日立製作所と日立航空機製作所を進出させようとした。この工事は海軍監督長から「本工場ノ竣工ハ海軍トシテ促進ヲ要ス」として埋立造成にあらゆる便宜を軍部からうることができた。同時に千葉市と漁業協同組合との漁業補償の交渉にも「皇国の興廃」に関するものとして補償の早期妥結と補償金の一方的決定が行われた。埋立地が造成される今井・曽我野の両漁業組合は千葉市からの交渉をうけて、三十数回にわたる会議を開いた。その間に漁業協同組合の役員・会員にはたえず憲兵の圧迫も加えられたようである。
 漁業協同組合は千葉市に対して埋立造成の「承諾書」を提出した。
 サキニ 本組合ハ千葉市ガ施行スル千葉市地先公有水面埋立並ニ航路開鑿関係工事ニ関シ 公有水面埋立法ノ規定ニ基キ 同意ヲ表シ候処 該補償ハ左ノ条項ニ依リ承諾候也
  
  1. 一、別紙図面ニ示ス範囲内ニ存スル漁業権及ビ之レニ付帯スル一切ノ権利ヲ抛棄シ 且ツ其ノ属スル組合員ヲシテ 自由漁業ヲ廃止セシムルニ付 左ノ金額ヲ交付セラレタキコト
  2. 一、金    漁業権ニ対スル補償
  3. 一、金    組合員ニ対スル補償
  4. 二、前項ノ金円ハ 本組合ニ於テ関係漁業権ノ変更 又ハ抛棄ノ手続ヲ完了シ 且当該漁業権区域内ノ本項ニ関シ 第三者ニ為シタル契約ノ全部ヲ解除シタル後 一週間以内ニ支払フコト
  5. 三、本工事ニ当リ 工事計画其ノ他事業上 又ハ埋立地利用ノ施設支障ヲ来サザル範囲ニ於テ 一般漁業上ニ関シ 出来得ル限リ利便ヲ与ヘラレタキコト
  6. 四、補償又ハ救済金ノ交付ヲ受ケタル地域ニ於テハ 将来漁業権ノ出願ヲ為サザルコト
  7. 五、本組合ニ於テハ 本工事ガ国策ニ出ツル重要施設ナルコトヲ認識シ 工事ノ遂行及ビ埋立地上ノ施設ニ付 充分ナル便宜ヲ与ヘ 協力ヲナスコト

 このような協定の下に承諾書を提出し、昭和十六年一月に補償金を支払われた。
  千葉市漁業組合
 一、金二万円也 漁業権ニ対スル補償
 一、金三五万一七一〇円也 組合員ニ対スル救済金
   蘇我町今井漁業協同組合
 一、金一万七〇〇〇円也 漁業権ニ対スル補償
 一、金三一万八〇六五円也 組合員ニ対スル救済
   曽我野漁業協同組合
 一、金八三〇〇円也 漁業権ニ対スル補償
 一、金一五万五四九二円也 組合員ニ対スル救済金
  総計 八七万〇五六八円也
 この漁業補償金八七万円の算出方法は詳細には不明であるが、「千葉市都川以南海面埋立並ニ防波堤築造ニ関スル漁業補償及ビ救済金算出要綱」によって概略を知ることができる。
 一、漁業権ニ対スル補償
 最近五ケ年間(自昭和十年至昭和十四年)ニ於ケル漁業業種別ノ水揚金額ノ平均額ヲ基礎トシ 各種別漁業ノ純利益(純所得)ヲ算出シ コレニ左ノ係数ヲ乗ジタル金額トハ
 専用漁業 係数一〇
 区画漁業(貝類) 係数一〇
 区画漁業(ノリ) 係数一〇
 区画漁業(ノリ種場貸付) 係数七
 定置漁業(簀立) 係数五
  1.  一、漁業ノ純利益(純所得)トハ業種別漁業ノ生産額ヨリ 漁船・漁具・漁船機関・ソノ他材料ノ消却費・労力賃・雑費等ヲ差引タルモノトス
  2.  二、専用漁場内ニオイテ行ハルル 漁業ト雖ドモ専用漁業免許外ノ漁業ハ之ヲ除ク
  3.  三、ノリ種場ノ貸付金額ノ十五ケ年平均額ヨリ〇・〇五ヲ減ジタル金額ヲ被乗数トス

二、漁業救済金
  1.  一、自由漁業救済金
    免許漁業以外ノ許可漁業・届出漁業ソノ他漁業中 本工事区域内ヲ漁場トスルモノヲ対象トシ ソノ漁業実収額ニ対シテ二倍シタル金額
  2.  二、ノリヒビ建救済金
    工事関係区域内ニオイテ 昭和十三・十四両年ノ実施地建ヒビノ平均柵数ヲ対象トシ 一柵当リ四円二二銭五厘(五ケ年平均ノ純利益ノ半額)
  3.  三、漁業組合交付金
    総金額ヲ金十万円トシ 内七割七万円ハ各漁業組合毎ニソノ享有スル漁場延面積ニ対スル喪失漁場延面積ノ割合ニヨリ按分シ 残リ三割金三万円ノ金額ハ漁業組合員数ニ応ジテ按分シ 両者ヲ合算シタルモノトス

 この漁業補償金は漁戸一戸当たりのうけとった金額や、配当金の書款は残っていないが、約二五〇円の漁家が多かったといわれる。
 千葉市は漁業補償を終えて、この埋立を東京湾埋立株式会社に請負わせた。この請負金は八〇三万二千円であった。かくて昭和十五年十二月二十三日、寒川町に大起工式があげられた。参列者は横須賀鎮守府司令長官以下将官三六名、内務省土木局長以下一七名、千葉県知事以下職員一〇四名、県・市議会議員九一名、漁業組合関係一三〇名、日立製作所社長以下三〇名、東京湾埋立株式会社の社長以下一八名、合計四七〇名が参加した。かくて千葉市蘇我町・曽我野漁業協同組合の漁場八九万三千三百坪の埋立工事がはじまった。
 この埋立工事は戦局が不利になるにともなってしだいに困難となった。埋立の進行は鈍くなった。昭和十六年度に二四・三パーセント、同十七年度に二〇・二パーセント、同十八年に一七・四パーセント、同十九年に埋立は行われなかった。千葉市長から日立製作所に提出された「千葉埋立工事費増額ニ関スル顛末」によれば
 埋立工事ニツイテハ 着工僅ニ一年ニ出ズシテ 大東亜戦争ノ勃発トナリ物価ニ一大激変ヲ来スニ至リ 全工事費欠損ハ巨額ニ達スル見込ニシテ コノママニテハ工事進捗困難……

と述べている。このまま埋立工事は中止となった。このとき工事費は漁業補償金八七万円をふくめて総額九一四万円に達していた。