市制施行から間もない大正十年十月、市当局も、最初の市営住宅(八畳、六畳、三畳、台所という間取り)を、住宅難を緩和するため、特別会計で四万五千円を起債し、新宿、長洲(現在の柏戸病院の手前)、寒川に計三五戸を建てている。
一方震災の復興を急ぐため東京には大工・左官・瓦師・鳶等の建設業者は引っ張りだこになり、全国から三万人近くが集められた。千葉にも京浜地区から狩出しにきて、大工の日当は、一円五〇銭から五円、ブリキ職は二円から五円と各々三倍以上に急騰した。京成の千葉乗り入れと、震災は、千葉市の発展を助長し、また地元の業界をも刺激し、そして東京という大都会の影響を強く受ける端緒となった。また、戦前の千葉市で唯一の、高い煙突のある工場といわれた、参松工業株式会社(当時参松製飴)も、東京深川から焼出されて、昭和四年六月に新宿町の日清製粉の敷地を譲り受けて進出してきた。
洋釘 (一貫) | 松角材 | 杉角材 | 松六分板 (一坪) | 杉四分板 (一坪) | |
大正元年 | 80銭 | 6円 | 7円 | 80銭 | 99銭 |
大正5年 | 1円30銭 | 6円 | 8円 | 70銭 | 80銭 |
大正9年 | 1円10銭 | 29円 | 31円83銭 | 2円45銭 | 2円45銭 |
(『千葉郡誌』)
大工 | 3円30銭 |
左官 | 4円 |
石工 | 3円90銭 |
ペンキ塗工 | 2円50銭 |
煉瓦積工 | 3円70銭 |
畳工 | 3円 |
日雇人夫 男子 | 1円98銭 |
日雇人夫 女子 | 1円10銭 |
(『毎日年鑑』大正11年版)
戦前の参松製飴 <県史編さん室提供>