検見川無線送信所

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 大正十五年四月一日、東京無線電信局検見川送信所は業務を開始しているが、その建設の経過は『検見川無線三〇年史』によれば以下の如くである。
 敷地の選定と買収 首都に至近で、安価で広大な平坦地が入手し易くしかも電力の供給が容易であるという条件にマッチして検見川が選定された。
 用地は検見川から稲毛にまたがって、地主の数も五〇人をオーバーし、買収の交渉もかなり大変であったが、当時の検見川町長斎藤清次郎、検見川郵便局長藤田豊三郎等の斡旋尽力によって妥結した。坪単価畑地は、平均二円で、かなり高額であった。
 空中線支持鉄塔の建設 施設のポイントである鉄塔(九〇メートル六基、七五メートル三基)は、東大教授草間偉が設計し、工事は、清水組(現清水建設)が一七万千円で落札した。
 なお、鉄塔の本体は、服部製作で、支線用の鋼線は、東京製鋼でそれぞれ製作された。
 鉄塔建設後、空中線懸架工事と、接地工事は、逓信省工務局の直営で竣工した。
 資材としての鋼材、コンクリート等は、国鉄幕張駅、稲毛駅から荷車で運んだ。
5―76表 検見川無線送信所建設の記録
(1) 敷地と買収価格(大正12年1月27日)
種別坪数価格
局舎敷地
19,043.00

47,758.46
鉄塔敷地1,145.062,988.63
官舎敷地3,600.009,197.58
合計23,788.0659,944.67

(2) 建設内容
局舎建設工事東京深川近藤組
官舎建設工事東京清水組(現清水建設)
起工大正13年5月
竣工大正15年3月
設計監督逓信省経理局営繕課
現場主任監督新作義信
現場監督補助南田善義
現場監督補助菅原勝太郎

(『検見川無線30年史』)