分離派の建築

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 震災の教訓は、明治期を風びしたルネッサンス式の煉瓦積、石積に代わって、耐震・耐火の太い柱で、厚い壁の、鉄骨や、鉄骨コンクリート構造、更に両者を複合した鉄骨鉄筋コンクリート構造の建築物を出現させた。
 更にグロピウス等の分離派運動や、ドイツ表現派の影響を強く受けて、新しい表現を求める建築が日本でも流行してきた。特に分離派運動は、建築をして、構造の分離化、機能化、美観に重点を置くもので、このモダニズムの影響を受けた建築物が、昭和初期に千葉市にも出現した。まず、大正十四年六月に落成した、現在の千葉相互銀行本町支店が鉄筋コンクリート造りで出現し、ついで現在の千葉市役所中央地区市民センター(旧三菱銀行千葉支店)が、昭和二年に、当時欧米建築技術の粋を結集し、窓ガラス等も輸入品を使用したものでお目見えした。

大正期の建築を代表する旧三菱銀行(現在の中央地区市民センター)

 更に前後して、県庁第一分館(昭和四十八年七月取り壊し)が昭和四年頃工費一五万八千円で昭和土木が完成し、旧教育会館(これはルネッサンス式であるが)も工費二〇万円で昭和五年六月二十一日に竣工している。
 旧教育会館は、全部鉄筋コンクリートで、外壁は大部分スクラァチタイル張(一部テラカッタ張)にして、腰廻りは人造石の洗出しとし、繊細的装飾と不必要な付加物などの虚飾とをさけ、外面壁と窓の配置および仕上材料との均整、調和を考え、穏健質実にして典雅沈静、しかも若干のモダニズムも加えたものであった。

旧教育会館

 また中央四丁目の千葉中央警察署(現県警本部別館)も、昭和十年六月四日に工費一一万五千六百円で、分離派のモダニズムの手法による建築物として出来上がっている。
 昭和二年には、本野精吾らの当代一流の建築家が、わが国にも、分離派のモダニズムに和式の典雅の趣を加味して表現する「日本インターナショナル式」という様式を確立させた。この様式による建物が、林芙美子の『愛情』に「船の形をした新しい図書館」という描写で登場してくる旧県立中央図書館(現婦人会館)で、この建物は、昭和九年六月三十日に工費一〇万五千円で竣工している。

天皇御成婚記念に建築された旧県立中央図書館

 設計は、東京丸の内の渡辺仁工務所が担当し、大林組が、県土木課の監督下に施工した、鉄骨コンクリート造りの、外壁の白色が印象的な、モダンで瀟洒(しょうしゃ)な建物であった。基礎は、書庫の部分のみ杭打をし、他は割栗石を敷き、その上に鉄筋コンクリートの土台を構築した。
 高さは、地盤より屋根パラペット上端まで五尺五寸であった。
 これらの建物は、戦前の千葉市の代表的なもので、現存しているものが多いので、当時の様子を知る大事なものである。佐原から、千葉に進出してきた奈良屋も、新店舗を昭和五年十一月一日に、木骨モルタルであったが三階建の日本インターナショナル式の建物で開設した。