陸軍歩兵学校

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 明治六年(一八七三)創設の陸軍戸山学校の戦術科が発展拡充して、大正元年(一九一二)十一月二十四日に都賀村(現作草部町)に設置された。用地は作草部、萩台の地主が所有した山林が多く、特に鉄道連隊創設時に自己の所有地を売却した代金で、代替地を隣接地に購入しておいたので作草部の地主が多かった。本校のほかに敷地は、射撃場として萩台に約三万坪、練兵場が現在の天台二、三、四丁目と天台町を含む地に七万坪程度あった。射撃場は、本校より遅れて、大正十年(一九二一)に歩兵操典の改正で、着弾距離が千二百メートルに延長されたので、萩台、寺台、殿台の農家の所有地を買収して設けた。それ以前は鉄道連隊の園生射撃場を借用していた。園生射撃場は、園生の地主石橋善左衛門所有の長者山の山林で、窪地であるため射撃場としては好都合であったが、地価評価は低かった。
 本校の建造は、東京の業者が施工し、葛原工業(天台)にその炊事場や煙突等の遺構が残存している。
 なお、天台一丁目一二番地の児童相談所前の小公園には、本校の由来を物語る「平和の碑」が設置されている。結局、これらの軍用地形成は、千葉の西北郊への都市化の発展を阻害し、敗戦後、住宅、学校、官公庁、公園等に転用された。
5―78表 千葉市管内旧主要軍施設一覧表
名称所在設立年月主たる転用施設名
陸軍野戦砲兵学校若松町,小深町 山王町,大日町M19.6.20住宅地(四街道中学,病院)
鉄道第一連隊椿森町M41.6椿森中学
鉄道材料廠(作業場のみ)弁天町M42千葉公園
陸軍兵器補給廠作草部町,天台町T1.11.24児童相談所,鉄道官舎,警察官舎,少年鑑別所
陸軍歩兵学校轟町M42経済高校,轟中,東鉄材修所
陸軍歩兵学校射撃場作草部町S2.11作草部県営住宅,格納庫の一部は某倉庫会社
下志津飛行学校若松町T12.1.11若松町下志津陸上自衛隊高射砲学校,千葉英和(旧聖書)
千葉憲兵分隊作草部町T10千草台団地の一部,天台スポーツセンター,あやめ台団地の一部
気球連隊院内町T八田洋服店
千葉連隊区司令部穴川町S11.12.1京葉工業,建設省土木研究所,放医研
陸軍戦車学校小中台町S13.10.16千葉女子高校,小中台小,丸善研究所
陸軍防空学校小中台町S19.4市立高校,小中台中学,園生小,千葉大学職員寮
陸軍防空学校幹部候補生隊椿森町S6.1.18大蔵省関東財務局千葉財務部
陸軍病院椿森町S国立病院

 鉄道連隊材料廠と陸軍兵器補給廠は,明治42年に同一区画の場所に設置された。前者は轟中,東鉄材修所の敷地に,後者は経済高校の敷地にあった。