昭和十三~十四年ころ、衛戍病院(のちに陸軍病院と改称)の増設工事が、日華事変の勃発によって、激増した傷病兵を収容するため行われた。まず敷地は、作草部の一二、三軒の農家から一町歩の農地(畑地)を買収し、三百人収容できる臨時(仮)病棟五棟を建てた。施工は、市川の林組が担当し、同時に地元薬局の二万円の寄付金で、娯楽室が完備した。
明治四十二年創設の、鉄道連隊材料廠、陸軍兵器補給廠の倉庫・構内道路・排水溝の増新設工事も、昭和十三年に工費二六万円で東京の木曽組の手で施行された。
昭和八年二月十九日、鉄道連隊出身の勇士、荒木大尉の功績のモニュメントとして、荒木山公園(現千葉公園の一部)が造成された。