往時、千葉街道に沿う宿場町として栄えたが、明治二十七年(一八九四)鉄道開通で衰え、僅かに停車場附近の発展をみるに過ぎない。甘藷、蔬菜、魚類、鶏卵などの土地生産品を商う行商人が多く、毎日早朝駅頭に蝟集(いしゅう)する。京成電鉄幕張停車場が駅前にあり、大正十年(一九二一)七月、船橋――千葉間開通以来旅客の約五割はこれに吸収された。検見川には五大力船五〇トン四隻があって、東京、館山方面へ臨時航行する。発送貨物は、麦、貝灰、甘藷、里芋、澱粉、到着貨物は、肥料、木材、砂糖、雑貨等で、運賃は鉄道と大差ない。自動車は東京――千葉間を通ずる国道を利用する貨物自動車の運搬が急増し、東京へ生果、野菜、魚介類など急送品が多い。輸送迅速、運賃低廉のため漸次これに蚕食されている。自動車は一両あるのみだが、東京からきている。定期運行は三両である。
幕張駅の主要貨物は甘藷、甘藷澱粉、野菜、芋粕、麦、貝灰などで、東京を始め、東北、北海道まで発送している。駅員は一〇名、収入は一日平均旅客一二七円、貨物九六円である。取扱数量は一日平均乗客三六一人、発送貨物三二トン、到着貨物三四トン、発着貨車六車である。