千葉駅とその周辺

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 明治二十七年(一八九四)七月に開業し、総武、房総の二線が合流する。京成電鉄も東京――千葉間を往復し、県下交通の要路である。東京近郊で東京への通勤者は多く、震災後急増した。また地方政庁の所在地で官衙学校があり、鉄道連隊、歩兵学校もあって、これら関係者の往来は多い。大正十年(一九二一)一月一日に市制施行した。市内電車の敷設はなく、乗合自動車、人力車は有力な交通機関である。京成電鉄は大正十年五月に開通し、幕張、検見川、稲毛、浜海岸、新千葉、千葉などの駅がある。押上――千葉間は約一時間一〇分要し、午前五時より午後一一時まで運転し、一五~二〇分ごとに発車する。運賃は片道五六銭である。自動車は一〇両あり、いずれも個人経営で貸切の需要に応じている。乗合自動車は千葉自動車会社経営で六両ある。運転系統は、市内は千葉駅――海岸、千葉駅――歩兵学校、本千葉駅――大学病院、京成千葉駅――海岸である。人力車は市内全体で二七七両あり、千葉駅構内で営業するのは五〇車である。
 主要貨物は麦粉、これは本千葉駅から松本米穀製粉会社が四割を占め、専用線をもって外国からの原料小麦も到着させる。動物飼料、水飴、グリコースとも本千葉駅発送で、後二者は参松製飴会社が専用線をもって原料澱粉の到着とともに荷主である。麦、甘藷、生野菜、繭などがあり、本千葉駅、千葉駅から京浜、東北、北海道、大阪などへ発送する。繭は千葉駅近くに乾燥場があり、県内各地から集荷して蒸殺乾燥後、千葉駅から信州方面へ転送する。駅員一六〇名、収入は一日平均旅客一、〇二七円、貨物二二九円、取扱数量一日平均乗客二、八三九人、発送貨物七〇トン、到着貨物一六三トン、中継貨物のうち車内整理五九四個、積換六〇個、発着貨車二三車、中継貨車年二七〇車である。千葉駅には、公衆電報取扱、自動電話、貨物案内所、人力車、弁当、その他飲食物立売及び売店があった。