明治二十九年に開業し、房総線、北条線の分岐点になっている。乗合自動車は五井潤間自動車会社が経営し、千葉――蘇我――五井の路線をもって、一日四往復した。区制度で一区一〇銭だった。貨物自動車は東京方面への輸送に利用された。舟運は五大力船(二〇~三〇トン積)があり、天候良好、順風なら四~五時間で東京に到着した。しかし、荷役の関係で月数回しか往復しない。
主な貨物は澱粉(当時千葉郡は甘藷の生産県内二位で、千葉郡下では蘇我は中心だった)、漉返紙、主に東京へ発送される。駅員二三名、収入一日平均旅客七六円、貨物七〇円、取扱数量一日平均乗客三六八人、発送貨物一九トン、到着貨物三七トン、発着貨車四車、公衆電報取扱、立売営業人(牛乳、茶、新聞、タバコ)がおかれた。