中産階級の困窮が甚だしく医療、児童の栄養、細民金融などに悲惨な状況にあったものが少なくなかった。特に不況は思想面の動揺を招いたので、青年たちの指導に配慮がされている。また困窮のあまり、登校児童のうち欠食児童がかなりの数にのぼったことが記録されている。
予算は五万一三〇九円であるが、このうち児童給食諸費として一万一九八三円をあてている。また医療対策として三万二七七六円を支出している。
弁当を持ってこられない欠食児童のため給食委員会を組織して運営面の指導にあたっているが、当時千葉市の欠食児童のうち主食及び副食とも給食したものが五八人、副食だけが二人、該当校五校、千葉郡は主食、副食の給与が六三人、副食だけの給与二二二人にのぼっている。また千葉市では貧困家庭の児童一六七人に衣服を支給している。
千葉郡市では見当らなかったが、公益質屋も設置され、苦しい家計の救済に当たっている。また、幼児保育、少年保護、老人保護事業の助成にも苦心している。