その他

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 和田茂右門の調査によるいくつかの動きを拾ってみると、「房総日日新聞」が昭和三年二月に再刊されているし、同四年三月には「日刊千葉」が発刊されている。同年十二月には本町で火事があり、五〇戸焼失、六年九月栄町で二〇戸、七年十二月富士見町で四七戸焼失するなど毎年のように大きな火事を起こしている。
 昭和五年六月には検見川の無線送信所から初めて写真電送の実験が始められている。文化的な動きとしては、画期的なことであった。
 交通の項にでているが、五年十二月に京成袖ケ浦(小湊バス)、千葉郊外(東洋バス)の各会社が設立され、バスの運転が開始されている。
 ところで新聞の発行も盛んであったが、昭和五年当時千葉市にあった地元新聞社と東京各社の支局をあげると次のとおりである。
   社名        場所
 房総日日新聞社      東院内
 房総新聞社        西院内
 日刊千葉         寒川長洲
 千葉日日新聞社      長洲
 千葉毎日新聞社      千葉
 二六新報社        梅屋敷
 報知新聞支局       長洲
 東京毎夕新聞支局     通町
 東京朝日新聞支局     市場
 中央新聞支局       寒川
 やまと新聞支局      市場
 読売新聞支局       吾妻町
 国民新聞支局       寒川
 都新聞支局        東院内
 時事新聞支局       長州
 中外商業新報通信部    千葉毎日内
 婦人毎日新聞支局     本町
 日本電報通信社(電通)   寒川新田