石渡定吉 大沢中
浅尾国一 佐久間和
臼井荘一 渡辺長松
桜木省一郎 小川秀次郎
君塚文司 佐久間七右衛門
飯豊幸十郎 岩瀬甚蔵
中島巳之吉 武田俊義
市原甚三郎 山本政次
遠藤福太郎 川島幸之助
北沢春平 永井巌
太田卓 秋元佐五右衛門
増田栄一 池田宗七郎
足立信義 高石慎
伊原茂 鴻崎豊吉
大塚八郎兵衛 植草久蔵
布施通次 石井順
曽根藤四郎 足立幸吉良
海宝英二 田野寛
改選後の初市議会で議長に岩瀬甚蔵、副議長に海宝英二が選出された。
当時市の職員状況は、市長一、助役一、収入役一、主事・技師八、書記補六七、技手・技手補八、雇二八で、市長以下一一四人という陣容であった。
この年、日華事変がぼっ発したため、いわゆる新体制運動が全国的に広まるきっかけを生んだ。翌十三年国防国家は国をあげてのスローガンとなり「軍都千葉市」と化した郷土は「千葉市恤兵会」といった組織が生まれ、出征軍人家族への慰問などが活発化した。
十四年になると国政委任事務がしだいに多くなり、地方行政を極度に圧迫した。警防費、防空法施行に基づく防空訓練、青年学校の設置など非常体制への布石を要求された。
千葉市は前年度の継続事業以外、新規事業は一切手がつけられない財政状態となっていた。昭和十五年になると地方税制の改正が行われたので、市もはっきり戦時体制への準備に着手した。
そこで市は社会課を独立させ、庶務課を総務課に改め、防空係、町内係を新設、産業課内に配給係を設けるなどの機構改革を実施した。配給係の新設は、このころから統制経済が一段ときびしくなり、消費物資が配給になりつつあったからである。
十五年の税制改革をみると、地方税法の改正に伴って、千葉市では、この年に市税賦課徴収条例をつくり、四月一日から実施に踏み切った。それは市税を普通、目的税の二種類に分け、普通税には「国税付加税」「県税付加税」「独立税」の三種に組み入れ、目的税は「都市計画税地租割」とし、インフレ下の財政を保護した。起債、増税は各市とも同じような状態で市民は耐乏生活を余儀なくさせられた。
千葉市の諸税負担状況をみると、市制施行当時の大正十年は住民一人当たり一〇円五七銭であったものが昭和十五年には約五割増の一五円九六銭となった。これを一世帯当たりになおすと五〇円六〇銭から八〇円四七銭と五割九分も負担増となっている。
一方、施設面をみると、十二年には千葉医大の付属病院が完成し、十三年には加曽利新田に市営墓地、十四年には矢作に市立葛城病院(市立病院)、その翌年には加曽利新田に市営屠殺場がそれぞれ建設された。
非常時という名のもとに市は財政難に苦しんだものの、軍事上の要請から十二年には穴川地先(京葉工高、建設省土木研究所一帯)に戦車学校ができ、その翌十三年には小中台には防空学校(のち高射砲学校となる、戦後は千葉大学文理学部、女子高校などの用地に転用)が設けられ、既設の鉄道連隊や同倉庫、兵器補給廠、気球隊、歩兵学校とともに広大な軍用地域を形成した。すなわち椿森、作草部、轟、穴川、小中台と市の丘陵地帯はほとんど軍の施設地となった。
軍用地域には射撃場をふくむ演習場や国鉄千葉駅(現市民会館のところ)から下志津飛行場、習志野の鉄道連隊まで二本の軍用鉄道が敷かれた。いわゆる軽便鉄道といったのが、それである。これら軍用地の設定は関係地主、耕作農民にとって反対することもできない至上命令的に強制されたものであった。
昭和十五年には内務省土木会議の立案による東京湾臨海工業地帯造成の一環として寒川、今井、蘇我地先約九〇万坪(二七二万平方メートル)の海面埋立てが開始され、十八年に日立航空機会社が進出して、飛行機の生産に着手している。
戦前の蘇我海岸(日立航空機製作所用地となる)
十七年に入ると軍部の強い要請によって黒砂台(緑町)に総面積一五万坪(四九万五千平方メートル)の用地を確保して東京帝大(東京大学)第二工学部が設立された。
こうした設備増強にもかかわらず戦況は泥沼化し、千葉市は財政ひっ迫、市民生活の窮状は一段と厳しくなっていった。
一方、昭和十四年九月一日からは「興亜奉公日」(のちの大詔奉戴日)が定められ、盛り場はネオンを消し、料理飲食店、カフェー、酒場などの歓楽はいずれも全休か時間制限を行った。市民は早起きの励行をはじめ、時間の厳守、心身の鍛練、節約、貯蓄の実践、禁酒、禁煙の実行という事態に突入していった。
料理飲食店などの営業は十五年の九月一日から一段ときびしくなっている。「七・七禁令」によって料理代金の制限(例えば朝食は甲地八〇銭、乙地六〇銭、丙地五〇銭)自動車業者は、花街、競馬場、ゴルフ場、興行場の往復には客を乗せないことなどの制限が加えられている。
また、政府は日華事変の苦戦は米英両国の援助にあると断定した。これに対し全国的に非難決議が行われたが、千葉県議会では「暴英打倒」を決議しているし、千葉市議会でも「英国の援蒋態度を粉砕すべし」と決議、首相あてに要求している。