米軍の進駐

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 終戦でいま一つ忘れてならないことは、米軍上陸による婦女子暴行の流言飛語であった。このうわさに婦女子のいる家庭では戦々恐々としたものである。結果的には一部でトラブルはあったものの、うわさほどではなかった。
 本県への米軍の上陸は八月三十一日館山へあがったのが最初で、十月十三日千葉市に移駐し、元日立航空機製作所千葉工場の対岳寮と女子寮を宿舎に、県庁本館二階の一部を庁舎として管理政策を遂行した。
 行政はすべて米軍の指示によって行われ、県職員は軍政部へ履歴書を出させられたほどである。新聞もすべて事後検閲が厳しく行われた。千葉駅にもマーチン中尉以下の将兵が駐留している。