終戦時千葉市の軍隊

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 終戦時千葉市にいた部隊の場所はつぎのとおりである。
 戦車第四師団司令部(黒砂)
 〃 第二十八連隊(黒砂)
 〃 整備隊(黒砂)
 〃 機関砲隊(黒砂)
 〃 追撃第十大隊(千葉医大)
 独立戦車第三旅団司令部(更科)
 〃   第三十六連隊(白井)
 〃   機関砲隊(更科)
 〃   輜重隊(更科)
 東部軍管区臨時自動車隊第四自動車隊(登戸)
 千葉臨時兵站業務班(登戸)
 千葉陸軍病院(椿森)
そのほか既存の各軍学校や鉄道連隊。
 宗胤寺住職・児玉栄一の話によると、宗胤寺に第一九九九部隊が駐留していて一時、沖繩で玉砕した牛島中将が同寺の地下室で事務をとっていたことが確認されている。大学病院には軍の衛戍病院があったそうである。
 そのほか戦後の混乱状況を示すものとして『県報』が七月十二日から九月二十一日まで発行できなかった。また、戦後の食糧対策として二十年十一月二十日の『県報』に千葉駅での立売補助食としてさつま芋一個(およそ百匁―約三七グラム)一円で売っていたことが掲載されている。
 さらに戦災で市内の風呂屋一一軒が焼失したので、市営の風呂屋をつくり、民間に貸与することが二十年十二月の市会で討議されている。