復興都市計画の内容

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 県の立案した復興都市計画は昭和二十一年から実施されたが、これに対して昭和二十三年に千葉市の復興局の「千葉市総合復興計画」を作成した。これは千葉市の局部的な復興に終わることがないように総合的な計画を立てたものである。その内容は八項目から成り、第一に「人口配分」、第二「地域・地区制」、第三「街路計画」、第四「公園緑地計画」、第五「陸上交通」、第六「港湾及び水路」、第七「公共施設」、第八「工場誘致」などから成る。千葉市の総合復興計画が特に県の復興都市計画と異なる点として、千葉市を自立都市としての市の財政と市民の文化生活ができる都市機能を持つために、都市人口の規模を最低三〇万人としたことであった。その他の項目は県案を引きついでこれを拡大したものであった。ここでは県案の復興都市計画を述べておく。

 a 都市の性格  千葉市を県の政治、経済、文化、学術の中心都市とし、更に首都圏内の衛星都市とし、新たに東京湾岸の工業都市、水運・陸運の要地とする。都市の人口規模を一四~二〇万人に想定し、これを人口約一万人の近隣区一六ヵ所をもって構成する。各近隣区を一~二の幹線道路をもって結合し、地域を都心地区、学園地区、港湾地区、工業地区、住宅地区、臨海厚生地区として具体化する。

 b 鉄道改修  都市交通、陸運の基本となる鉄道復興は次のとおりにする。現在の国鉄千葉駅を廃し、貨客分離し、椿森跨線橋の東側に貨車専用駅を設ける。現在の京成千葉駅を国鉄千葉駅付近に移動してここを終点とする。国鉄本千葉駅は南方に移動する。国鉄電車を国鉄蘇我駅まで延長する。更に新駅を蘇我駅までに一、四街道駅までに一を設置する。

 c 街路計画  復興土地区画整理区域内の街路を改修する。

 災害防止関係  主要防火線は総合空地幅五〇メートル以上とする。

ア 猪鼻台より都川に沿って川口に至る公園道路

イ 計画道場公園から千葉神社、計画通町緑地をへて計画国鉄千葉駅にいたる街路

ウ ア、イの二街路を結ぶものとして本町防火道路(幅員五〇メートル)、葭川沿岸公園道路(河川・公園道路)、鉄道沿線の緑地帯付属道路。

エ 蘇我埋立地の横断街路

 右に付帯する広場計画

 計画国鉄千葉駅前広場(六千坪)、国鉄本千葉駅前広場(千六百坪)、市内中央広場(三千坪)、葭川沿岸広場(八三〇坪)。

 幹線街路の幅員は二〇メートル以上とし、副街路のうち主要なものは八~一〇メートルとする。街路の線形は放射線を重視し、消防等の非常交通に備える(東部郊外放射線、西部海岸放射線)。この幹線街路に対し、副線は都心迂回線とし、平時の車両交通の集中を緩和するとともに非常交通の確保を計る(国道短絡線、東金街道)。

 保健関係では公園道路を多くし、並木を配し、中心街の形態は従来の南北方向から東西方向に修正し、住宅地では日照・通風を改善する。

 経済関係では千葉市の経済復興の要地である蘇我埋立地の利用促進のために、埠頭地区と一般工業地区を想定する。この街路計画として、埠頭路線(幅員三〇メートル)一線、一般工業用線(防火線用の幅員五〇メートル)を配置する。特殊小売商店街や娯楽街に対しては車両交通を排除しうる位置に二線(幅員一五メートル)を直交せしめ、これに市場広場・慰楽広場を面積七百坪のものを設ける。

 保安関係では鉄道と街路の交差を立体化し、総武線に対し三ヵ所、房総線に対し二ヵ所を予定する。街路、広場、緑地、水道、土地の高低を総合して、変化と統一を与え、都市美を培うようにする。

 d 緑地計画  市街地の中心緑地を県庁裏公園と千葉神社の隣接地を神社外苑として、市の中央公園とする(通町緑地五千三百坪)。

 東北自然緑地よりこの中心緑地に楔(くさび)を打ちこみ、これを運動公園とする(道場公園一万一千百坪)。

 綿打池周辺に最大の公園を置き、千葉公園(三万四千二百坪)とし、付近の忠霊塔公園と結んで市の教化の中心とする。

 緑地帯 右の純公園のほかに緑地帯を配置する。鉄道沿線を主として菜園地とし、ほかに国鉄本千葉駅裏より幅員四〇メートルをもって海岸にいたる緑地を設ける。これは小学校運動場の一部を利用し、学校々庭、児童遊園地、一般遊園地を連ね、海岸にまで展開させ、学校と海との結びつきを期待する(新宿町緑地一万六百坪)。

復興都市計画図(毎日新聞 昭22.8.10)

 右のほかに大小八ヵ所の公園緑地を設け、公園街路をもって系統的に構成する。すなわち弥生ケ丘公園(一・八六ヘクタール)、本町公園(〇・七八ヘクタール)、稲毛公園(三・三一ヘクタール)、富士見町緑地(〇・二八ヘクタール)、本千葉緑地(〇・六六ヘクタール)、長洲町緑地(〇・八三ヘクタール)、通町緑地(一・〇一ヘクタール)、緑町緑地(六・三八ヘクタール)である。これらの公園緑地により、防火線を構成し、運動・散策・海水浴・釣・ボートその他の健全なる娯楽による心身の転換・保養を求め、学園地区等の清浄なる環境を育成し、余暇の善導に資せんとするものである。

 更に交通幹線以外の町角に一五〇メートル間隔に約百坪の「町のオアシス」を一町会ごとに設け、記念建造物、国旗掲揚塔、水飲場、池、共同便所、ベンチ、配電施設などを配置する。

 e 用途地域の決定  市街地区域は一、八六〇ヘクタールとし、この用途地域を区分して機能的に利用し、市街地全体を有機的に調和するように構成した。しかも都市交通の基点である国鉄の各駅と京成千葉駅を移動し、街路、公園、緑地の設置などから考慮し、将来の発展から用途地域を区分した。

 用途地域は商業(普通商業区、商業専用区)、工業(甲種工業区、乙種工業区)と住居(普通住宅区、共同住宅区、菜園住宅区)の三区分をした。更に特別地区として、公館特別区、港湾特別区、文教特別区、厚生特別区、倉庫特別区を設定した。これらの地区はそれ自体の機能を強化し、純化を図り、都市機能を最高度に発揮させるようにした。この土地利用計画の面積は次のようである。

6―1図 復興都市計画の用途区域の図

  種目    面積(ha)  百分比(%)

 普通住宅区  一、二〇七   五〇・三

 共同住宅区      二    〇・一

 菜園住宅区    二七一   一一・三

 普通商業区     九二    三・八

 商業専用区     一八    〇・七

 普通工業区    二二九    九・五

 甲種工業区    三〇〇   一二・五

 乙種工業区     一一    〇・五

 特別区      二七四   一一・四

   計    二、四〇四  一〇〇・〇


  種目  面積(ha)  百分比(%)

 公館特別区    一四     五・一

 港湾特別区    七二    二六・三

 文教特別区   一五八    五七・七

 厚生特別区    二二     八・〇

 倉庫特別区     八     二・九

   計     二七四   一〇〇・〇

 商業区  従来から商業中心であった吾妻町一、二丁目を中心とする繁華街は、今後はますます商業の中心地となるべく、この一団地を商業専用区とし、これに隣接する地区と将来の副都心となるべき要地に普通商業区を設定し、市民の日常生活に便宜を与えるものとする。

 工業区  南方海岸埋立地の約九〇万坪を甲種工業区とし、千葉港の重要部分とし、臨港線と運河を設ける。北方工業地は旧兵器廠、旧気球隊の跡地であり、計画貨物専用駅と関連をもつ。東方工業地は稲毛の従来の工業地と検見川海岸の一団地に求め、この二つの地区を普通工業区として一般工業の発展に資する。このほかに都川沿岸の神明町の一区画は従来の中小工業地であって、千葉港と関連を持つべく、これを乙種工業区とする。

 特別地区  公館地区は諸官衙、事務所、その他の公共的建築物の用地として、県庁、市役所を中心とする一団地と計画千葉駅前地区を設ける。更に市民生活の中心となる各種公館を通町緑地、千葉公園の周辺に設ける。文教区は、猪鼻台と稲毛に設け、港湾区を千葉港とし、これを千葉市の海の門戸とする。倉庫区を港湾区と計画貨物専用駅付近に設ける。そのほか、厚生地区、慰楽地区、風致地区を目的に応じて設定する。

 住居区  以上の各区に人口二万人、戸数四千二百戸が居住するとして、残りの人口は一六の近隣住区に居住するものとする。近隣住区は一ヵ所の収容人口は約一万人、戸数五千戸とする。近隣住区を四つの近隣分区に分け、一つの近隣分区を人口二千五百人、戸数五百戸とする。この近隣分区を更に二〇~四〇戸、一〇〇~二〇〇人の隣保区に分ける。これらの住居区には諸設備を行い、近隣住区内で一応の日常生活を充足できるようにする。