復興都市計画は昭和二十一年から五ヵ年計画で着工された。都市計画事業の先決問題は土地区画整理事業であった。都市建設に当たって、最も困難なことは街路の拡張、改修であった。自然発生的に幅員のせまい街路に乱雑に立ち並んだ家屋と屋敷割の整理は、土地区画事業の実施には難関であった。街路の拡張、改修には家屋の移転料と換地を提供しなければならないが、それは莫大な金額になった。しかし戦災都市であったからある意味では困難が少なかった。昭和二十年十二月十日ごろから都市計画線の街路などの杭打ちの予定であった。しかし戦災によって測量器具を失い、測量技師も不足していた。他方には市民の住宅や商店がもとの場所に続々と建築された。土地区画整理事業は遅れたので、多数の家屋が移転しなければならなかった。区画整理事業で移転しなければならない戸数は二千戸に達した。
昭和二十一年十一月一日に区画整理施行地域の告示があった。権利指定の申告は同年の十一月三十日まで行われた。土地区画整理委員の選挙は昭和二十二年一月八日に行われた。土地区画整理はまず換地計画から始まった。換地位置と換地面積の実測をして換地予定地に建物その他の工作物の移転を行い、街路の整地と工事が行われた。換地処分は土地利用とその性格によって次の数工区に区分して行われた。
委員会決定年月日 | 決定面積 | 道路面積 | 公園面績 | 縄延 | 減歩率 | |
年月日 | 坪 | % | % | % | % | |
第1回第2工区ノ1 | 23. 1.23 | 72,720 | 30 | 3 | 3 | 30 |
第2回第2工区ノ2 | 23. 7. 6 | 84,896 | 34 | 7 | 3 | 30 |
第3回第2工区ノ3 | 23.10. 7 | 40,636 | 23 | 5 | ― | 28 |
第4回第1工区 | 24.11.15 | 129,902 | 18 | 3 | ― | 23 |
第5回第4工区 | 24.12.26 | 84,840 | 27 | 6 | 7 | 18 |
第6回第3工区ノ1 | 25. 5.27 | 93,482 | 32 | 6 | 1 | 28 |
(『戦災復興誌 第八巻』)
年度 | 清掃 | 整地 | 工作物除却 | 換地 | 建物移転 | 街路事業 | 事業費 |
立方米 | 坪 | 立方米 | 坪 | 戸 | 立方米 | 万円 | |
昭和22年 | 16,649 | 30,667 | 1,100 | ― | ― | 15,300 | 134 |
〃23年 | 1,613 | 18,560 | 250 | 120,000 | 11 | 7,295 | 287 |
〃24年 | 496 | 14,493 | 207 | 117,890 | 143 | 12,429 | 1,328 |
〃25年 | 0 | 11,070 | 0 | 196,110 | 225 | 3,391 | 1,779 |
計 | 18,758 | 74,790 | 1,557 | 434,000 | 379 | 38,415 | 3,528 |
(『千葉市誌』)
第一工区 一二万九九〇二坪
神明町一・二丁目、新宿町一・二丁目、松波新田の一部、新明町の一部、本千葉町の一部、轟町の一部。
第二工区 一九万八二一五坪
吾妻町一・二・三丁目、本町一・二・三丁目、亥鼻町、市場町、富士見町、通町、神明町、本千葉町、椿森町の一部。
第三工区 一八万七〇四三坪
通町、院内町、要町、富士見町、栄町、新町。
第四工区 八万四八四〇坪
道場南・北町、本町一・二・三丁目の一部、亀井町、東本町、院内町、祐光町、作草部町。
計 六〇万坪
これらの第一回換地発表は昭和二十三年一月に行われた。
復興都市計画は昭和二十四年六月に打ち切りとなった。政府の経済九原則の実施があって国の財政が徹底的に縮減することになった。そのため国庫補助金が減額となり、復興都市計画の既定計画をそのまま実施することはできなくなった。昭和二十一年から打ち切りまで既定計画の三五パーセント(支出金額五千五百万円)を遂行したにとどまった。このため復興都市計画のうち、効果の著しいものを重点的、集中的に施行して、都市の復興をすみやかに達成しようとした。かくて千葉市都市計画の新五箇年計画が立案された。それは昭和二十五~二十九年にかけて、総事業費として二億一九三三万円を計上した。戦災復興事業の施行面積は、初めに市街地の一一七万坪を計画決定したが、さまざまの事情があって、施行面積を縮小して六〇万坪としたものであった。この新五箇年計画においては、更に施行面積を縮小して四六万八千坪とした。この中心市街に集中して土地区画整理、街路整備、上水道と下水道とガス管などの移設を行い、公共空地の整備などをおしすすめた。