新五箇年都市計画は戦災復興都市計画の延長であるが、効果が著しい事業を集中的・重点的に施行するとの目標のもとに縮小されたものである。また中心市街の都市計画のほか、郊外地の都市計画にも努力し、特に川崎製鉄の誘致に伴い、市街が南に延びていくことに対応しなければならなかった。新五箇年都市計画の重点事業は、駅移転とこれに伴う駅前広場の整備、市街の街路整備、千葉公園の整備、土地区画整理と下水道の建設、郊外地の整備、工業港の整備などであった。その概略を述べれば次のとおりである。
駅移転と駅前広場の整備 国鉄千葉駅を栄町から西南の弁天町へ移転することは、千葉市都市計画の中心課題である。総工費二億円、鉄筋コンクリート三階建てとする。この駅前広場は五千五百坪として千葉市の中心市街の街路の起点とする。これと同時に国鉄本千葉駅の移転と京成千葉駅の移転が行われる。京成千葉駅跡地は四千坪の広場となり、物産館の建設計画が考えられる。
市街街路の整備 新国鉄千葉駅の駅前広場にはロータリーを配置し、ハイヤーの駐車場、バスターミナルが設置される。この駅前広場から京成千葉駅の移転跡地に幅員五〇メートルの広路が造成される。この広路は市街のメインストリートとして両側に二列の植樹をして並木路とする。本町通りは幅員三六メートルに広げ、両側を歩道とし、道路の中央に植樹帯を設ける。銀座通りは将来は車両の交通を禁止するものとして、あまり拡幅せず、両側に六メートルの幅の歩道を設け、繁華街とする。新しい京成千葉駅(国鉄本千葉駅)の駅前広場は四千坪とし、そこから銀座通り、吾妻町中通りを横断して本町通りに合流する幅員三五メートルの街路をつくる。この街路と新国鉄千葉駅からの広路と連絡する幅一五メートルの新設道路をつくる。富士見町の踏切から中央公園(京成千葉駅広場)までの東京街道は交通量が多いので、幅員二〇メートルの街路に拡幅する。
葭川をはさんで本千葉町から富士見町へかけて、両側へ各一五メートルの散歩道をつくる。大日寺の敷地を中心として三千五百坪の通町緑地を設け、ここに市制施行の三十周年記念の千葉市公民館を建設し、子供の遊戯場や団体広場をつくる。更に院内小学校の東側にいたる幅員四〇メートルの散歩道をつくり、中央公園、通町緑地、散歩道路をつらねてこの一帯を公園化する。千葉公園は野球場と競輪場を中心とし、日本庭園や動植物園、ボート専用池などをつくる。以上の緑地面積は合計四万五千坪、全市域の五パーセントとする。
区画整理と下水道計画 これらは計画の四分の一しか進まず、起債も許されないので新五箇年計画において完工する。区画整理は移転が終わったものはこれまでは五百戸、今後移転すべきものは二千戸が残っている。下水道計画は昭和二十四年度から第一次工事が三箇年計画で行われている。この区域は亥鼻町、市場町、長洲町一・二丁目、港町、末広町一・二丁目、寒川町一・二・三丁目で、総坪数三〇万坪、管の延長二〇キロ、総工費四千五百万円となっている。
郊外地計画 南部では千葉港が海の門戸となるため新設道路として木更津街道の交通量が多いので埋立地に寒川大橋から浜野まで幅員一五メートルの道路を造成する。また蘇我台地にある旧日立製作所の土地と鉄道沿線の用地はそれぞれ宅地造成用地とする。北部では西千葉駅を中心に松波町、春日町、登戸五丁目、緑町、黒砂町の区画整理事業を完成する。
工業港の整備 千葉港の工業港築港計画は費用五億円であったが、川崎製鉄が埋立地の整備と岸壁を工事することとなり、費用は三億円に減じた。このうち四〇パーセントは国庫補助、六〇パーセントは市負担とした。工事は全長二キロの防波堤と五百トン級の機帆船の船溜りをつくり、航路二・五キロを水深九メートルにしゅんせつする。